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「坊っちゃま。リオ坊っちゃま」
 ぼけっと紙のおもてに気のない視線を落としていたリオは、専属の家庭教師のロージーの呼びかけに我に返った。見ると、痩せぎすのロージーが銀縁眼鏡の奥からリオを睨み付けている。
「ここ数日、ひどいですよ。何か気がかりなことでもあるのですか」
「何も……」リオはロージーから目を逸らす。「何もないよ」
「立派な大人になるためには、手品ばかりをしていてもいけませんよ。教養も大切なのです」
「分かっているよ……」
 ぼそぼそと答えたリオに、ロージーはこれ見よがしに大きなため息をつく。
「奥さまに報告しなくては……」
 独り言のように言ったロージーに、リオは慌てた。
「ちゃんとやるよ」
 ロージーの報告を受けた母が、「気味の悪い見世物なんかを見ているせいで成績が落ちたのよ」と張り切って、マイクに出演の取りやめを申し出に行くのは想像に易かった。母がするであろうその解釈が、あながち間違いでもない(パールは気味悪くなどないが)のだからなお悪い。リオは鉛筆を握って目の前の紙に向き直る。すっかり慣れ親しんだ、ロージーの作った問題集だ。
 彼女は無茶な問題は作らない。リオの理解度に沿って、きちんと解ける問題を作ってくれる。落ち着いて真面目に取り組みさえすれば……。
 頭の中に、パールの青い部屋で彼と絡み合う裸の自分が思い浮かぶ。
 ぶるぶるっと首を横に振る。
 馬鹿なことを考えるな。今は勉強の時間だ。パールと会えるのは、明日。明日になれば、彼と……。
「リオ坊っちゃま」
 ロージーが眉間の皺を深くする。リオは「分かっているよ……」と呻いて、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。

 翌日。
 行きの馬車の中から、リオはハーフパンツのポケットに入れた懐中時計をしきりに探って落ち着かなかった。いや、出発前の夕飯から、いや、その日の朝食から、いや、いや、前回パールと別れてから、ずっと落ち着いてなんかいない。
 何をするのだろう。
 曖昧な知識の中で、期待と恐怖はいたずらに膨らむばかりだ。
 兄がいれば、質問をすることによっていくつかの情報を得られたかもしれない。だがリオは一人っ子だ。クラスメイトがいれば、互いの浅い知識を持ち寄ることによってひとつぐらい新たな情報を得られたかもしれない。だがリオは学校に通っていない。
 イーサンに聞くわけにも、ロージーに聞くわけにも、もちろん両親に聞くわけにもいかない。
 馬車を降りると、門番のデゴスがいつもと違わぬどもった丁寧な挨拶をしてくれた。普段ならば笑顔で手を振るリオが「ああ」と生返事をしたものだから、デゴスはちょっと悲しそうな顔をした。
 リオは、パールの部屋の前まで来るとつい足を止めた。長くは止まらなかった。いつまでも立ち呆けていると、不審に思ったイーサンが口を出してくるに違いないからだ。ただでさえ、彼にはここ数日のあまりに気抜けしたリオの様子をしきりに心配されていた。
 足早にレースのカーテンを抜け、大きな音を立てて扉を閉める。イーサンがどのような顔でリオを見ていたか知らない。長年リオを知るイーサンと今目を合わせれば、なにもかもが見透かされてしまいそうで怖かった。
 青い部屋に入ったリオは、扉から一番遠いところに設置されたパールのベッドへそろりそろりと向かった。慎重に歩かなければ、足がもつれて転んでしまいそうだ。
「パール」
 控えめに名前を呼んだ。うっすらと目を開いてベッドに横たわる彼は、いつも一度目の呼び掛けでは反応しない。他人に口が利けることを知られてはいけないから、声の主がはっきりと判明するまではうかつなことをしないように心がけているのだろう。リオは二、三適当な言葉をかける。はたと疑問が湧いた。
「リオだね」
 パールが微笑を浮かべてこちらを向いた。リオは「うん」と答えてから質問をする。
「あの日、君はどうして僕にしゃべりかけてくれたの?」
「うん?」
「口を利けることが人にばれちゃいけないのに」
「ああ……」
 パールの上瞼の筋肉が少し動く。視線を宙に投げようとした、のかもしれない。重たそうな義眼はほとんど動かなかった。「そうだね……」と彼は言葉を探しながら言う。
「別に、誰にもばれちゃいけないわけじゃないんだ。外部の人間にばれちゃいけないってだけの話で」
「それなら、君は僕以外の人ともしゃべるの? つまり、外部じゃない、Den of FREAKSのスタッフたちとは」
「ほとんどしゃべらないよ。俺は目が見えないから、そこにいるのがうちの連中だけなのか、ゲストもいるのか、すぐには分からないからね」
「じゃあ」同じ質問を繰り返す。「どうしてあの日、僕としゃべってくれたの?」
「君が子供だからだよ」
 パールが簡単に言った。リオは首をひねる。
「子供だから?」
「子供自体は、いるよ。でもみんな見世物だ。こんなところに子供のゲストなんて、まず来るわけがないからね」
「ああ……なるほどね」
 リオはどうとも思わないが、両親やイーサンの言動から、見世物小屋が『教育によろしくない場』だということは理解していた。そもそもマイクが子供の有名人にゲストの依頼をすること自体が稀なのだろうが、依頼をしたところで大半は断られてしまうのだろう。
「君がゲストだって聞いたときは、驚いたよ。もう、俺は子供が来たって金輪際しゃべらないことに決めた」
 パールがおどけるように言った。リオは「それがいい」と同調する。
 パールと秘密を共有して特別な関係になるのは、今までもこれからも、ずっと僕だけでいい。
「そんなことより」パールがにんまりと目を細める。「今日は、君に触ってもいい日だったよね」
 ごくり、とリオは喉を鳴らした。
「服を脱いでよ」
 パールには腕がないからもちろん指もないのに、リオはなぜだか彼の華奢な指先が、リオの肌の上を鍵盤を叩くかのように軽やかに滑る錯覚を抱いた。うん、と答える声が小さくなる。
 初めてパールの前で裸になったときよりは、幾分スムーズに服を脱げた。
 それでも、下着を下ろす瞬間にはやはり手が止まった。
「脱げた?」
 パールが優しく問いかける。リオは「もう少し」と消え入りそうな声で答える。
 脱ぐか? 脱いでしまうのか? パールの、好きな人の前で、本当の本当に全裸になってしまうのか?
 努めて深呼吸をする。
 部屋はぼんやりと薄明るい。しかし、めくらのパールにはどのみち見えない。それに——、パールだって、裸だ。
 リオはもう二つ深呼吸をして、えいっと一思いに下着を下ろした。
 ぷるん、と半ば立ち上がった陰茎が、じっとりと湿った部屋の空気に触れる。震える指で下着をつま先まで下ろしていき、完全に脱ぎ捨てる。脱いだよ、とパールに報告する勇気が出せない。
「脱げた?」
 しばらくしてパールが聞いた。うん、とリオは短く頷く。
「おいで」
 パールが微笑する。リオは再び、うん、とだけ答える。
 ベッドの脇に設置された小さなチェストの上に脱いだ服を重ね、そのてっぺんに懐中時計を乗せた。そうっとベッドに上がる。ギッ、とベッドが大きくきしむ。パールがちょっと身じろぐ。リオはパールの隣に身を横たえる。そこからどうすればいいのかが分からない。ちらりと横目でパールをうかがう。
 リオの気配を探っていたらしいパールが、出し抜けに「あれっ?」 と頓狂な声を上げた。リオは「えっ?」と戸惑う。
「隣にいる?」
 パールは天井に向けていた目をリオの方角に向けた。うん、とリオが答えると、パールはくすくすと笑い出した。
「何?」
 彼はなぜ笑っているのだろう。リオは不安になる。
「何か、おかしかった?」
「いや、大丈夫……」大丈夫と言いながら、パールの笑いは止まらない。「そっか、そっか……」
「何?」
「なんでもないよ。君がかわいいなって、ただそう思っただけだから」
 パールがごろんと体ごとこちらを向いた。彼の唇が何かを探すように動く。さすがのリオにも、今彼が求めているものは理解できた。
 どきどきしながら彼に顔を寄せる。ちゅ、と唇を触れさせ、すぐに離す。間もなく、ちゅ、と今度はパールの方から唇を触れさせる。ちゅ、ちゅ、とどちらからともなくキスを繰り返す。そのうちに、パールの舌がリオの唇を割って入ってきた。リオはおっかなびっくり口を半開きにしてそれを受け入れる。パールの舌がにゅるにゅるとリオの舌を吸って、舐める。互いの舌が柔らかに溶け合う。涎で溺れてしまいそうだ。
 永遠に続くかのように思われたキスが、唐突に終わりを迎えた。
 リオは離れた熱を寂しく思いながらも、荒れた呼吸を整える。寒気がして、ぶるっと体を震わせた。ひっきりなしに口の端から垂れる涎が、リオの髪を濡らしていた。慌てて口の中のつばを飲み込み、頬を伝うそれを手で拭う。ぐしょぐしょの手の対処に困り、場当たり的にシーツになすりつける。
「ん……」
 ちゅ、とこめかみに口付けられ、リオは小さな声を上げた。
 いつの間にやらリオの上に乗り上げたパールは、ちゅ、ちゅ、とリオの耳に、首筋に、鎖骨にキスを落としていく。小さな刺激が、啄むような音がこそばゆくて、身をよじる。パールが「逃げないで」と笑みを含んで囁く。パールの唇が、胸へ、腹へと順繰りに下りていく。
「どうすればいい?」リオはそわそわと落ち着かない。「僕は、どうしていればいい?」
「楽にしていて。俺に触ってもいいよ」
 パールが優しく言った。
 リオには触り方など分からなかった。とはいえ、とてもじっとしてなどいられず、闇雲にパールに手を伸ばす。彼の油を含んだ髪に指を絡める。彼の頬をちょっとなぞる。リオはこんなにどきどきしているのに、パールは落ち着いてにこにこしている。
 パールの顔がどんどん下りていき、太股に、内腿にキスを落とされる。予感はしていた。そのおかげで、パールがリオの陰茎にちゅっと唇を触れさせたときも、大きな声は出さずに済んだ。
「は……」
 リオは熱い息を漏らす。ちゅ、ちゅ、ちゅ、と股間で小さな音が続く。ちゅぽ、とパールがリオの陰茎の先端を口に含んだ。リオは危うく声を上げるところだった。なんとか飲み込み、代わりに両手で彼の頭を押し退ける。パールが上瞼にちょっと力を込める。
「うん?」
「それ、だめ」
「ダメなの?」
 パールは笑って、素直にリオの太股へとキスを移動させた。ちゅ、ちゅ、と膝まで下りていき、内腿を伝ってもう一度股間まで上がってくる。リオは息を詰めてパールの動向を見守る。パールの顔がぴんと立ち上がったリオの陰茎の下に潜って、ぬめ、と肛門を舐めた。リオは仰天しながらも、とっさに自身の右手の甲を噛んで悲鳴を抑える。その間にもぬめぬめと肛門にあたたかな刺激が訪れる。
「ダメだよ……」
 リオは右手を口元にやったまま、やっとのことで左の手の平でぐっとパールの頭を押した。パールが顔を上げ、「どっちがいいの」と茶化すように聞いた。
「どっちって……?」
「どっちかは舐めないと。どっちがいい?」
「まさか」リオは目を剥く。「そういうものなの?」
「うん」
 パールは堂々としていた。リオは、そういうものなのか、と舌を巻く。性に詳しいパールが言うからには本当なのだ。どっちか? どちらを舐められるのも恥ずかしい。だけど、選ばなければいけないのだとすれば。
「じゃあ」か細い声で言う。「ちんちん……」
 そっち? などと返されてしまえば、一生立ち直れないだろうとおそろしかった。しかしパールが「うん」と平淡に頷いたため、ほっと胸を撫で下ろす。
 パールの唇がリオの股間を探って、ちゅ、とリオの陰茎の根本に口付ける。ちゅ、ちゅ、と唇が上がる。ちゅぽ、とまたも彼がリオの先端を口に含む。今度はリオは耐えられた。しかし、包皮の中を舌で探られ、結局は両手でパールの頭を押しのけた。「何」とパールがおかしそうに聞く。
「それはダメ」
「どうして?」
「声が……」リオは顔を赤くする。「出ちゃいそう」
「出せばいいよ」
「イーサンに聞こえる」
「誰?」目をまたたかせる。
「僕のボディガード」リオは扉に目を向ける。「心配性で、僕が君と会うときはいつも扉の外で聞き耳を立てているんだ」
「ああ。そうなの?」パールもまた、扉の方角へ顔を向ける。「でも、君はしゃべっても構わないんだから。それに、ここの壁も扉も厚いから、扉を閉めれば少々の声なら外には聞こえないって、以前マイクから聞いたよ」
「だけど、うっかり変な大声を上げちゃえば、イーサンはそのことを僕の両親に報告するよ。そうしたら、もう君に会いに来られなくなるかもしれない」
「ああ。そうか……」
 パールは考え込むように上瞼に力を込める。やがて提案した。
「シーツを噛んでいたら?」
「シミになっちゃう」
「シミぐらい、別に構わないよ」
 パールはリオの返事を待たずに、もう一度リオの陰茎の先端を口に含んだ。彼の舌先が包皮の中に潜り込む。リオはパールの頭に手を伸ばしかける。しかし、行為の続きをしたくない、というわけでは断じてないのだ。
 少しの葛藤のあと、引っ張ってたゆませたシーツを口に咥えた。部屋の主であるパールがシーツのシミなど気にするなと言っているのだから、と己に言い聞かせる。もとより、せんのキスでシーツはびしょ濡れなのだ。
「ん……、ん……」
 リオはシーツと歯の隙間からくぐもった声を漏らす。普段は包皮に覆われている敏感な粘膜が、パールの舌で丹念にねぶられていく。優しい触り方だが、慣れない場所への刺激にリオの腰は小刻みに震える。
「んっ!」
 びくん、とリオの体が大きく跳ねた。
 終わったのだ。もう終わってしまった。
 少し惜しいような気持ちになりながらも、どこか安堵していた。だが、リオの陰茎から口を離す気配のないパールを見て目を疑う。
「ねえ」
「ん?」
「終わったけど……」
「何が?」パールが首をかしげる。「まだいってないじゃない」
「いくって?」
 いく、とはなんだろう。勃起がおさまることとはまた違うのだろうか。
 勃起は、放っておけば時間の経過とともにおさまる。しかし部屋に一人のときなど、リオは違う方法で勃起をおさめることもあった。いやらしいことを考えながら陰茎を触っていると、そのうち体がびくっとなって、そしておさまるのだ。そのことではないのか。いくとは一体?
 リオの質問に、パールは虚を衝かれたように静止した。少しの間を挟んで「ええと……、つまりね……」と含み笑いを浮かべる。
「まだ射精していないじゃない、ということ」
「射精って?」
 なんでもかんでも訊ねすぎかもしれない。しかし、分からないのだから仕方がない。リオが何を聞いても、馬鹿にすることのないパールに安心もしていた。パールは愉快そうに問う。
「まだ出したことない?」
「何を?」
 パールはそれには答えず、違う質問を重ねる。
「君はいくつだっけ」
「十二」
「じゃあ、もう出るかな」
 だから何が、と訊ねる前に、パールがリオの睾丸にぱくついた。やわやわと唇で睾丸をまれる。ぬるい快感と急所をとらえられている緊張感に、ぞわぞわとしたものが背筋を走る。見下ろすと、先ほど終わったと判断したリオの陰茎はいまだぴんと屹立していた。
 ねろぉ、とパールの舌がリオの睾丸と肛門の間を伝った。
「は……」
 リオは一度は離したシーツを再び手繰り寄せる。シーツはリオの唾液に濡れて冷たかった。熱い口に含めば、すぐに分からなくなる。
「ん……」
 パールはリオの陰部を、余すところなく吸ったり舐めたりした。リオの体は幾度も跳ねた。なんべん跳ねても、パールはやめてくれなかった。リオは体をびくつかせながら懸命にシーツを噛み続ける。
「んんっ」
 突如股間にせり上がるものを感じ、リオは「だめ」と口にしようとした。シーツを咥えているせいで、まともな音にはならなかった。シーツを離しかけて、声が漏れそうになってまた咥える。んん、んん、と繰り返していると、ようやく気付いたパールが「ん?」と動きを止めた。リオは急いでシーツを吐き出す。
「だめ」
「どうして?」
「……おしっこ、出ちゃいそう」
「出していいよ」
 パールは落ち着いて、再びリオの陰茎を口に含んだ。リオは愕然とする。シーツはすでに涎でびしょびしょだ。だけど、ベッドでおしっこをしていいわけがない。リオはもう十二歳なのだ。
 パールに冗談を言っている素振りはなかった。リオがおしっこが出ちゃうと言ってから、彼の責め方はかえって過激になった。唇をすぼめ、ジュポ、ジュポッと頭を上下に動かす。リオはあらん限りの力でシーツを噛みしめる。奥歯が擦り切れてしまいそうだ。いくら噛んでも、もはや抑えきれない「んーっ! んーっ!」という悲鳴がイーサンに届いてしまわないか気が気ではない。
 じゅわっ、と体内で何かが弾ける。
 決壊した、と思った。
「————っ!」
 脇目も振らぬ咆哮を上げてもおかしくはなかった。紙一重でなんとか噛み殺した自分を褒めたい。
 何か、尿よりも粘性のある液体が陰茎をほとばしる。
 ずぞぞぞっ、とパールが一滴も取りこぼすものかという勢いでそれを吸い上げる。がくがくとリオの腰が大きく痙攣する。
 無限とも、一瞬とも思われる時間を経て、リオの体内からこみ上げる液体は尽きた。
 僅かばかり尿道に残る粘液を、ちゅる、ちゅる、とパールが吸った。そのたび、ぶるっ、ぶるっとリオの体は小さく震える。
 しばらくリオは放心していた。
 リオの股間にうずくまっていたパールが、蛇のようにぬるりとリオの胸元まで這い上がった。リオは呆然としたままそちらに視線を向ける。
 パールは小刻みに喉を鳴らしながら、何やら口をもぐもぐさせていた。彼は顔でリオの体を探っている。やがて、リオの胸の中央でえっと口を開いた。どろり、と白と黄色の混じった粘液がリオの胸に広がる。「うわっ」とリオは顔をしかめた。
「何それ」
「君のだよ。君の精液」パールはにこにこしている。
「僕の?」にわかには信じられない。「僕、ちんちんからそんなの出したことないけど」
「大人になったら出るんだよ。君が大人になった証拠だ」
 リオは次第に冷静になっていく頭で、胸に広がる汚らしいような液体を見つめた。また、パールの、想い人の前で素っ裸になって、間抜けに足を開いて寝そべる己の姿をかえりみた。全身が汗と涎と『精液』でどろどろだ。気付いていなかったが、涙や鼻水もたくさん出ている。
「シャワーを浴びたい。こんな姿で舞台に上がれないから」
 リオが言うと、パールはスッとそっけない顔になった。
「シャワーはないから、そこの水道を使いなよ。チェストの中にタオルがあるはず」
 リオはベッドから降りて、チェストの引き出しを探った。一段目には液体の入った瓶や、大小さまざまな用途の分からない物体などが入っていた。物体は、大抵十~二十センチほどの長さで、棒状のものが多い。二段目にタオルが並んでいた。リオは思い出してチェストの上の懐中時計を見る。あと五、六分ほどで舞台袖に移動を始めなければならない。
 そそくさと立水栓の冷たい水で体を流していると、先ほどまでの獣のような自分がみるみる恥ずかしくなってきた。
 誰に教わったわけでもないが、年頃になって恋に目覚めて以来、好きな人の前ではなるべく格好つけた大人びた振る舞いをするべきだ、と考えて生きてきた。
 だけど、性に詳しいパールはリオの醜態を見ても平然としている。つまり、大人は普通、好きな人の前では獣へと後退するものなのだろうか。
 いつもは真面目くさった顔をしているイーサンやロージーも、恋人と二人きりのときは……。まさか、両親も?
 嫌な想像をしてしまい、知らず苦虫を噛み潰したような顔になる。
「大人の恋愛って、なんだかみっともないことのようだね」
 ぼそりとこぼしたリオに、パールは笑う。
「まあ、そういう考え方もある」
 リオは濡れた体をタオルで拭いた。タオルを絞り、涎のついた髪をぐいっと拭う。いやにしっとりとした髪に、目敏いイーサンが物申してきそうだ。ごしごしごしと髪を拭う。時計を見ると、あと二分。髪はまだ湿っていたが、取り急ぎ服を着る。
 蝶ネクタイを付けたところで、イーサンが扉をノックした。リオは「はぁい」と大きな声で答える。
「またね」
 気恥ずかしさに、リオは扉を見つめたままパールに囁いた。パールはいつもとまるで変わらない調子で「またね」と返した。