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 砂日は目を覚ました。
 一瞬、自分の置かれている状況に混乱する。すぐに昨晩のことを思い出し、落ち着いてテントを出た。朝の日差しがすがすがしい。
 茂みで小用を足した。
 髪を右手で後ろに束ね、小川に近付く。屈んで水面に顔をひたす。水が冷たくて気持ちいい。
 顔を上げ、着ているTシャツの腹のあたりを右手でつかみ、顔をぬぐった。
 ブルーシートに向かって歩く。開いた菓子の袋に蟻がたかっている。インスタントの味噌汁の大袋を見つけたが、肝心の湯がない。紙皿をひとつ取って小川の水をくんでいると、後ろから「なーにしてるの」と声がかかった。
「おはよう。テント、開けたら閉めようよ」
 振り返ると、北野が笑ってテントを指していた。彼がやったのだろう、その入り口のファスナーはすでに閉まっていた。それならばもう俺のすることはないと、砂日は彼の注意を無視して初めの質問にだけ答えた。
「味噌汁」
「味噌汁で、なんで川の水すくってるの?」
「だってねーんだもん、お湯が」
「どっかにさ、ミネラルウォーターあったでしょ?」
 ぐるりと北野があたりを見回す。すぐに目的のものを発見し、歩み寄ると「ほら」と持ち上げた。たぷん、とペットボトルの中の液体が揺れる。ミネラルウォーターの二リットル入りペットボトルは二本あり、一本は空だが、もう一本はまだ八割ほど中身が残っていた。
「ちょっと待ってね」
 北野はやかん型のケトルにとくとくとミネラルウォーターをそそぎ、危なげなくガスバーナーの火をつけた。ケトルを火にかける。砂日はしばらくそれを眺めていたが、待ちきれなくなって、紙皿に合わせ味噌と具を出すとペットボトルのミネラルウォーターをそそいだ。北野が気付いて「あ!」と呆れ顔をする。
「きみってせっかちだよね。ていうか、汁物で、紙皿と紙コップがあってなんで紙皿選ぶかな」
「容器じゃ味は変わんないだろ」
「変わらないけど、飲みにくいし、水だと溶けきらないからおいしくないでしょ?」
「うーん」
 適当に割り箸でかき混ぜて飲んでみたのだが、味の濃度がまばらで確かにおいしくなかった。具もパサパサのままだ。ちゃっと紙皿を傾けて河原に捨てると、「あーもう、ダメだって」と北野にとがめられた。
「きみ、環境破壊だよ」
 砂日は無視をする。北野が小さく肩をすくめる。
 しばらくすると、ケトルのそそぎ口からシュンシュンと湯気が出始めた。
 北野は魔法瓶を手に取り、中を覗き込む。彼が魔法瓶を傾けると、中から無色透明の液体がぴゃっと地面に散った。
「カンキョーハカイ」
 九官鳥のように言った砂日を、北野は「これはただの水だって」と受け流した。彼はペットボトルからミネラルウォーターを少しだけ魔法瓶にそそぎ、蓋をしてチャカチャカと中をすすぐと、また水を捨てた。
 続いて合わせ味噌と具を三パックずつ魔法瓶の中に入れ、ケトルの湯をそそぐ。蓋をして、ちゃぷん、ちゃぷんとゆっくりシェイクする。紙コップに魔法瓶の中身をそそぐと、いい香りの湯気がのぼる。
「はい」
 砂日は彼から手渡された紙コップを受け取った。一口飲むと、自然に「あ〜……」と声が漏れる。
「うまい」
「でしょ」
 北野も紙コップに味噌汁をそそいで飲んだ。しばらくすると女性陣が起き出してきた。
「味噌汁あるよ。早いもの順」
 北野が魔法瓶を掲げると、キャア、最高、と甲高い声が上がった。
 女性陣が、昨日買っていたのだというクロワッサンの大袋をテントから持ってきた。六個入りの袋が三つあり、一人二個ね、と配り分けられた。
 四十分ほど、のんびりとした時間を過ごした。北野が大学生たちと談笑している間、砂日は寝転がって流れる雲を見ていた。
 いつまで経ってもあと二人が起きてこないということで、砂日を除くみんなはどやどやと起こしに行った。昨日肉を焼いていた筋肉質の男性と、眼鏡の男性が「ごめんごめん」と謝りながら起きてきた。
「早く起きた人にはあったかいお味噌汁があったんだよ」
 女性の一人が言うと、眼鏡の男性は「ええ、マジでぇ」と落胆の声を上げた。
 片付けはみんなでした。北野はしきりに飲食の金を出そうとしていたが、「いいって、いいって」と固く断られていた。
「出発前に集金してるから、もらったら計算がややこしくなるし。二人は自転車旅行中なんだろ? お金、大事にしなよ」
 何度かのやりとりを経て、ようやく北野が「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」と受け入れた。
 片付けが終わり、それじゃあここで大学生たちとは別れようか、となったとき、タンクトップの男性が北野に「どっち方面?」と聞いた。
「ええとね、山を越えた向こう側」
「送っていくか?」
「そんな、悪いよ」
 送っていくと言っているのだからそうしてもらえばよいのに、断る気色を見せた北野に砂日は仰天した。
 しばらくやりあったあと、結局男性に山の向こうまで送ってもらうことが決定した。ほっと胸を撫でおろす。旅は楽しいが、長く歩くと疲れるのだ。少しでも楽をしたかった。
 早々にハイエースワゴンの後部座席に乗り込んだ砂日に対し、北野は「それじゃあ」「ありがとう」「またね」のやりとりを十五分近くも車のそばで繰り広げていた。自転車旅行頑張ってね。またいつか絶対会おうね。ありがとう、ありがとう。
 タンクトップの男性とハイエースワゴンに乗り込む頃には、北野はパンパンのエコバッグを持たされていた。
 山を越え、向こう側の麓にあった道の駅で男性が車を停めた。彼は売店で山菜の炊き込みご飯を二パック購入してプレゼントしてくれた。
「いい人たちだったね」
 去りゆくハイエースワゴンに手を振りながら、北野が言った。
「それ、食う?」
 炊き込みご飯の入ったレジ袋を指す。北野が目を丸くする。
「まさか。これはお昼ごはんだよ」
「でも、そろそろ昼じゃねーの。俺腹減ったよ」
 北野が腕時計を確認する。砂日も横から覗き込む。十一時半だ。
「俺、今そんなにお腹すいてないからなぁ。きみは今食べたら? 俺は夕飯にするから」
 砂日は道の駅の外に設置されたベンチに座って炊き込みご飯を食べた。べたっとしていたが味はおいしかった。
「いらないならくれよ」
 ぺろりと完食した砂日は、北野との間に置かれたレジ袋の持ち手に指をかけた。
「いるって。夜食べるんだよ」
 北野がさっとレジ袋を取り返し、己の腿の上に乗せた。