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 時刻は十九時を少し回った。砂日の「疲れた、休もうぜ」を聞くのはすでに四度目。これはまったくの予想通り。しかし予想に反して、いまだ彼は「もう嫌だ、やめよう、最初から和歌山県なんか無理だったんだ」の泣き言を漏らしていない。引きこもりが久しぶりの外出でハイになっているのか、その目はむしろ嬉々として見えた。
「疲れたけどさ、もうちょっと頑張ろうよ」
 義足の北野にとって、頻繁な休憩を提案されるのはありがたくもあった。しかしこれ以上のんびりしてはいられない。今まで通り「そうだね、休もうか」という同調が返ってくると見込んでいたらしい砂日は、下ろしかけていた腰を上げて「はぁ!?」と声を荒げた。
「なんで」
「だってもう十九時過ぎだよ。まだ薄明るいけど日は落ちたし、早く寝床を見つけなきゃ」
「じゃあもう今日はここで寝ようぜ」
「こんな道端の地べたで寝られないって。せめてもうちょっとさ、風をしのげて、ベンチとかがある……」
「ひ弱だよなぁ、お前」
 呆れ声で言われ、カッと頭に血がのぼる。
 俺じゃない、俺はその気になれば耐えられる、ただお前が、口だけは生意気なことを言う引きこもりで不登校の軟弱野郎が、いざそこらの道端で野宿を始めればいやほど文句を垂れるに決まっているから、こうしてなるべく快適な寝床を探してやっているんじゃないか。
 頭の中でまくし立て、表面にはただ困ったような微笑を浮かべる。
「でも、本当にどうしようか。一旦戻る?」
「なんで」
「この道、進んだら山を越えなくちゃいけないから」
 数十分前にも言っただろうが、と北野は嫌になる。ああ、そうだった、じゃあそうしようか、などと砂日がおとなしく従うわけもない。彼はとうとう地べたに座り込み、ペットボトルを足の間に挟むと右手でキャップを開けた。最初のスーパーマーケットからしばらく歩いたところにあった、別のスーパーマーケットで購入したものだ。スポーツドリンクがいいよという北野の助言を無視して、彼はメロン味のサイダーを選択した。
「休まないよ」
 北野は座っている砂日に構わず、今まで進んでいたのとは逆の方向に向かって歩き出した。「おい!」と背後で砂日が叫ぶ。
「そっちじゃねーって。戻っちゃうだろ」
「だから、戻るんだって」
「なんで」
「だから……」
 うんざりしながら振り返る。同時に砂日が立ち上がり、今まで進んでいた方向に向かって大股で歩き出した。北野は大きなため息をつき、仕方なくそのあとを追いかける。
 それにしても、辺鄙へんぴなところに来たものだ。
 駅前を離れてしばらくは、国道に沿って歩いていた。ふいに前を歩く砂日が横道にそれて、どうだっていい北野はあとに続いた。何度かの休憩を挟んで歩くうち、家並みはぽつぽつとし始め、かわりに自然が増えてきた。
 片側一車線の道路の白線は、ところどころが薄れて消えかかっている。道路の横には草木の斜面を下りて小川が流れている。前方にそびえたつ山に不安になって、マップアプリを確認した。慌てて砂日を呼び止める。
「このまま行くと、山を越えなくちゃいけないよ。日が暮れるまでには越えられないから、一度戻った方がいいんじゃない」
 砂日は「ああ、うん」と気のない返事をして、構わず歩を進めた。
 彼があまりに堂々と歩くものだから、北野もついそのあとを追ってしまった。
 実は砂日はこの地に詳しくて、地図には載っていない、山を越えなくとも済む秘密の抜け道を知っているのではないか? あるいは、泊めてくれる知り合いがこのあたりに住んでいるのではないか?
 半信半疑でそんな気を起こしながら、おっかなびっくりついていった。
 結果、砂日はやはりただの馬鹿だった。
 そんなことは初めから分かりきっていたのに、のこのこと彼についていってしまった自分も馬鹿だ。
 次第にあたりは薄暗くなり、草木の端から闇に呑まれていくようだった。
 がちゃがちゃといつまでも明るい街に比べ、人気のない夜の森は不気味だ。人の目がないかわりに、何かまるで得体の知れない大きなものにじっとりと観察されているかのようなおそろしさがあった。
 砂日に追いついた北野は、そっと横目で彼の顔を盗み見た。馬鹿らしい話だが、夜の森への恐怖から、ちょっと見ない間に彼がのっぺらぼうにでもなっていたらどうしよう、という気が湧き起こっていた。
 もちろん砂日はのっぺらぼうになどなっていなかった。少し疲労がにじんでこそいたが、あいかわらずの無頓着な顔をしていたためほっとする。
 それにしても、どうしよう。
 東屋か、何か無人の物置のようなものでも見つかればいいのだが。
「腹減った!」
 突然隣で大声を出され、北野はびくんと肩を震わせた。
 おどかすなよと文句を言いかけたが、驚いたと彼に知られるのは癪だ。「すいたけどさ」となんでもない顔を作って答える。
「この先、当分スーパーとかはないよ」
「やっぱあのとき買っときゃよかったんだ。つうか、よく考えたら俺ら昼飯食ってねーし」
 砂日がぼやいた。あのときとは、スーパーマーケットでペットボトルのジュースを買ったときのことだろう。北野は惣菜コーナーを物色し始めた砂日を「まだ買わないよ。値引きシールが付いてから」と押し止めた。昼飯は、確かに買っても良かったかもしれない。しかし彼だって朝食を食べてから家を出たはずで、それにくわえて埼玉県を出発する前にハンバーガーを食べたのだから、やはりいらなかっただろうという気もした。
 お前がこんなにおかしな道を進まなければ、今頃どこかのベンチで半額の弁当を食べていただろうに。
 そう思いはしたが、口にはしなかった。無駄なケンカで体力を消耗したくなかったし、仲違いを起こしてこんな夜の森に一人で置いていかれては困る。
「焼肉の匂いがする」
 はたと砂日が立ち止まった。
「え?」
 北野は眉をひそめ、すんすんと鼻を鳴らす。そんな匂いはしない。
「しないよ」
「するって」
 砂日があたりを見回しながら歩いてゆく。北野もそのあとについていく。
 空腹が極限に達した彼の幻嗅かとも思ったのだが、百メートルほど歩くと北野の鼻にもその匂いが届いた。すんすん、すんすんと二人で鼻を鳴らしながら歩く。匂いは消えない。どうやら幻ではないらしい。
「近くにキャンプ場でもあるのかな」
「混ぜてもらおうぜ!」
 弾かれたように砂日が走り出した。
 北野は呆気に取られ、すぐに我に返って「待ってよ!」と早歩きで彼を追いかける。体育の時間に装着しているスポーツ用の義足ならば話は別だが、普通の義足でうかつに走ると転んでしまう。
 道は、頻繁にカーブしているものの一本だ。薄暗い草木の陰に見え隠れする砂日の姿を必死に追う。二百メートルほど走り、ようやく彼が立ち止まった。彼の隣、道の端には『わ』ナンバーのハイエースワゴンが止まっている。
「待ってよ……」
 やっとのことで追いついた北野は、じろりと砂日に非難の目を向けた。砂日はぜぇぜぇと肩で息をしている。彼は、北野の到着を待っていてくれたわけではなく、ただここで体力が尽きただけのようだ。北野はあたりを見回す。
 ハイエースワゴンの向こう側には、石でできた幅の狭い階段があった。それを下りたところでわいわいとキャンプをしているグループがいる。
 テントは二張立っているが、グループはどうやらひとつのようだ。みんなでバーベキューを囲んでいる。キャンプ場という感じではない。無断でやっているのだろう。よく目をこらす。明るいけれど大人しそうな、大学生ぐらいの男女六、七人のグループ。
 しめた。
 もしもそれが家族の団欒ならば、どうしたって北野たちは遠慮しなくてはいけなかった。もしもそれがガラの悪い集団ならば、身の危険があるため割って入ることは不可能だった。
 しかし、彼らならば、あるいは。
 北野はハイエースワゴンの陰に自転車を停めると、砂日を振り返った。
「俺が上手くやるから、きみは黙っていて」
 飯にありつけるかどうかが最重要項目なのか、それともただ走り疲れてやりあう元気がないだけなのか、砂日は素直に頷いた。
 北野は落ち着いた足取りでゆっくりと階段を下りていく。やけくそだった。
 せっかくの仲間との楽しいキャンプ。北野と砂日とかいうわけのわからない二人組が割って入るのは、明らかに迷惑だ。
 しかし、十中八九先には何もないという状況ですら道を引き返す案を受け入れなかった砂日が、バーベキュー会場を前に「迷惑になるから。ね、やめておこう。とにかくまずは来た道を戻ろうよ」なんて提案を聞いてくれるはずもない。
 人当たりのよさも常識も持ち合わせていない砂日が不躾に乱入し、彼らを混乱あるいは恐怖におとしいれてむざむざと追い返されてしまうことを考えると、いっそ初めから俺が平和的に彼らとの交渉を試みる方がベターでは?
 真っ先に北野に気付いたのは、小柄なロングヘアの女性だった。
 彼女は隣のショートカットの長身女性の服を引っぱり、何やら耳打ちする。ショートカットの女性がこちらを見て、近くにいた眼鏡の男性に何かを言う。眼鏡の男性が北野に視線を転じ、こちらを指差すと「誰?」といった顔でみんなを見回す。みなの視線が一斉に北野に集まる。
「こんにちはー」
 階段の中ほどを歩いていた北野は、穏やかな微笑を浮かべて挨拶をした。
 険しい顔で一歩こちらに踏み出した、リーダー格らしいタンクトップの男性が、北野の挨拶に気抜けした顔をした。すぐに「誰ですか?」と眉間にしわを寄せ直す。
 北野はマイペースに階段を下まで下りた。と、後ろからざくざくと足音が聞こえてくる。呼吸を整え終えた砂日がついてきたらしい。そちらを振り返らないまま「こんにちは。ごめんなさい、いきなり。僕、きた」と名乗りかけて、「サトルと言うんですけど」と続けた。
 北野は、参加したボランティアの活動を記録するウェブページやいくつかのポジティブなネットニュースに顔と名前が出ている。それに、小学生の頃に一度だけ、全国区の『輝く子供たち』という毎週放映の十五分のテレビ番組に特集を組まれたこともある。本名を言って、検索され、現在中学二年生だと知られたらことが面倒になるかもしれない。
「僕たち二人で自転車旅行をしてるんですけど、道に迷っちゃったみたいで。だんだん民家もなくなるし、お店もなくて困っていたんです。それで、あの、突然お邪魔して申し訳ないんですけれど、——お金もあんまりないんですけれど、少しだけ食事を分けてもらうことって可能でしょうか?」
 タンクトップの男性が見定めるように北野を見た。と、ショートカットの女性が「分けてあげようよー!」と甲高い声を出す。
「どうせいっぱい買いすぎてたし。そうだ! せっかくだから、一緒にバーベキューしませんかぁ?」
 一人、二人、女性が賛同した。なし崩しに男性陣も北野らを受け入れる。
 ロングヘアの女性が、北野に紙の取り皿と割り箸を二セット渡してくれた。礼を言って受け取り、ひとつを砂日に回す。焼くのを手伝おうとすると、「いい、いい」と筋肉質で彫りの深い長身の男性が手を振って拒んだ。
「焼くのは俺がやるから」
「マサはバーベキュー奉行なんだよな。こいつに任せておけば火加減ばっちりだから」
 眼鏡の男性が呆れたように笑った。彼はクーラーボックスから発泡酒を取り出し、こちらに差し出す。北野は慌てて首を横に振る。
「ごめんなさい、僕たちお酒弱くて。ジュースとかってあります?」
 カワイー、とボブカットの女性が小型犬を見たときのような声を上げた。ロングヘアの女性が、一・五リットルのペットボトルからりんごジュースを紙コップにそそいでくれる。
「ありがとうございます」
 差し出された二つの紙コップを受け取り、「はい」とひとつを砂日に渡した。砂日は早くもブルーシートに座り込み、大皿に積まれた肉に手をつけていた。
 みんなで自己紹介をした。
 筋肉質の男性が正幸まさゆき、タンクトップの男性がたける、眼鏡の男性がれん、小太りの男性が淳弥じゅんや、ロングヘアの女性が結衣菜ゆいな、ショートカットの女性が玉姫たまき、ボブカットの女性が梨彩りさと名乗った。
「改めまして、サトルです」
 皆が下の名前を言ったので、それにならって自己紹介をやり直した。俺の今の名は喜多きたサトルだ、と頭の中で唱える。
「そっちは?」
 猛が砂日を顎でしゃくった。
「きみ、名前」
 北野は砂日を軽く小突いた。彼は初めて気が付いたように顔を上げ、「砂日」とだけぶっきらぼうに言うとすぐさま肉を頬張った。女性陣が嫌な顔をする。
「すみません。こいつ、悪いやつじゃないんですけど無愛想で。ちょっと変なんですよ」
 北野は慌ててフォローした。女性陣が顔を見合わせて、いいよいいよ、と笑顔を作る。
 彼らは大学一年生だと言った。
「サトルくんは?」
「俺も一緒です。彼もそう」
「うわあ、うわあ、一緒じゃん! じゃあさ、じゃあさ、タメ口でいいよ!」
 玉姫が座ったままぴょんぴょんと上半身を弾ませた。
 それから五時間近く、北野は目まぐるしくしゃべり続けた。もともとおしゃべりは好きなほうだ。
 砂日は最初の二十分ほど黙々と食べ続け、そのあとはブルーシートに横になった。一行が蛍を探しに行こうと座を立とうが、賑やかに花火を始めようが、彼は一切関与しなかった。
 その方が、余計な失言をされる心配もなく都合がいい。北野は構わず楽しんだ。
 梨彩は、北野が流行のアイドルにそっくりだと言ってはしゃいでいた。結衣菜は「サトルくんって、しっかりしているけれどなんだか幼いみたい」と不思議そうに言って、「どういうことだよ、この天然が」と男性陣に笑われていた。これまで「大人っぽい」と評価される人生を送ってきた北野は、彼女の「幼い」という評が新鮮で嬉しかった。中学二年生なのに大学生のふりをしているのだから、彼女の評価は的を射ていた。
 初めから終わりまで、彼らの誰も北野と砂日が中学生だということには気が付かなかった。結衣菜以外は小さな違和感すらも抱いていないようだった。
 北野の身長は義足を含めて一六四センチ(蓮と同じぐらいだ)だが、砂日が優に一七〇センチはあることもうまく騙しおおせた一因だろう。しかし、顔つきや皮膚の質感、つくりの華奢さからいつ怪しまれてもおかしくはなかった。
 きっと、二人が堂々としていたのがよかったのだ。
 普通、中学生にとっては高校生すらすごく大人で、大学生ともなるとあまりにかけ離れていて畏怖するような対象だ。
 しかし、ボランティアや交流会などで幼い頃から頻繁に年上と接してきた北野は、年長者への礼節こそあれ彼らに萎縮することはまったくなかった。砂日はといえば、たらふく肉が食えれば、そこにいるのが大学生だろうがなんだろうがどうでもいいようだった。
「あー、ダメ、もう眠い」
 北野は右手で顔を覆う。
「もうすぐ一時だもんねぇ。どうする? 一緒に寝る?」
 玉姫がいたずらっぽい笑みを浮かべて北野の顔を覗き込んだ。北野は「それはさすがに」と眠気のせいか、はたまた強引に飲まされたチューハイのせいか回らない舌で答えて、赤らんだ顔を伏せた。「冗談、冗談」と玉姫が笑う。
「俺らと一緒に寝ようぜぇ」
 猛が北野の肩に腕を回した。最初、四人の男性は女性陣に好感触の北野が気に入らなかったようだったが、話すとじきに打ち解けてくれた。
「寝るときってぇ、義足外すのぉ?」
 梨彩がアルコールで赤らんだ顔で北野を見上げた。飲み始めてすぐ、砂日の左手がないことに気付いて北野に耳打ちをしたのは彼女だ。北野はいいタイミングだと判断して、砂日には生まれつき左手がないこと、そして自分には生まれつき足が腿までしかなく、義足であることを告白した。
 彼らは少し気まずそうにしたが、北野が「まあ、多少不便なこともあるけど、砂日と仲良くなったのも実はこれきっかけなんだよね。いいこともたくさんあるから、俺は障害を悲観したことはないかな」とこの話題がタブーではないことを示すと、初めは遠慮がちに、次第に当たり前に障害に関するトピックを振ってきた。
 日常生活の中で不便なことは何か、足があったら何をしたいか、義足はどのぐらいスムーズに歩けるものなのか、生まれつき障害を抱えているのに自転車旅行にチャレンジする精神は素晴らしい、等々。
「寝るときは外すよ。もう蒸れまくってるし、むくんでパンパンだから早く外したい」
「あ! 私、デオドラントシート持ってるよぉ」
 梨彩がテントに走って、携帯用のデオドラントシートのパッケージを手に戻ってきた。一枚取り出すと、柔らかい体で北野に寄り添う。
「義足、外してよ。私が拭いてあげる」
「ええ?」
 どぎまぎしながら、助けを求めるように周囲を見回した。蓮が「はいはい」と梨彩を引き剥がす。
「こいついっつもこうなんだよな。こら、サトルが困ってるだろ?」
「何それぇ。私、親切でやったのにぃ」
「ありがとう。でも、照れるから」
 北野が言うと、梨彩は「カワイー」と甲高い声ではしゃいだ。
「テントに行こうぜ。サトル、立てるか?」
 猛が北野の脇に腕を差し込もうとする。北野は「立てる、立てる」と笑って手を振り、砂日を指した。
「砂日は立てないかも」
 男性陣は皆お互いを呼び捨てにしていた。そんな中、一人「砂日くん」と呼ぶのも奇妙なようで、北野も彼を呼び捨てにした。もともと彼は北野のことを呼び捨てにしていたのだから、別に何も構わないだろう。
 猛は張り切って、眠りこけている砂日をおぶった。
 それを笑って眺めながら、靴を履く。椅子かテーブルか、つかむところが欲しかったけれど近くには何もない。反動をつけるように義足に乗り、ブルーシートから立ち上がる。
「あ、これ!」
 梨彩がデオドラントシートを差し出した。北野は「ありがとう」と受け取り、猛のあとを追ってテントに入った。テントの入り口からみんなに向かって「おやすみ」と言う。「おやすみー」と口々に返ってくる。
 入り口を閉めると、テーパードパンツを脱いだ。義足とライナーを外し、デオドラントシートで足とライナーを拭いていく。冷感のものらしく、スーッとして気持ちがいい。
「おやすみっつっても、俺らもここで寝るんだけど」
 どやどやと、残り三人の男性がテントに入ってきた。
 男が合計六人も入ったテントはぎゅうぎゅうだ。しかし、不快なわけではまったくない。
 視線を感じて顔を上げる。淳弥がぼんやりとこちらを見つめていた。
「うん?」
「あ、いや」
 北野が首をかしげると、彼は慌てふためいた。
「その……、それって充電とかはいらないの?」
「ああ、これはね、いらないよ」
 遠慮がちに義足を指しながら質問した淳弥に、微笑を返す。
「毎日充電しなきゃいけないようなのはね、あれ、めちゃくちゃ高いやつだから」
「そうなんだ」
 どこかばつがわるそうに言って、じゃあ、と淳弥は広げた寝袋の下にもぐり込んだ。北野は「おやすみー」と返す。
 実は、北野がこの義足を選んだ理由は値段ではなかった。
 車椅子ではなく義足が使いたいと主張した小学三年生の春、両親は優秀なコンピュータ制御の義足も購入の選択肢に入れてくれていた。
 しかし、毎日充電をしなければならない、という点が北野には引っかかったのだ。
 充電が面倒だとか、そういう話ではない。テレビのニュースで、地震や大型の台風などで電気や水道が断たれた人たちを見て、毎日充電が必要な義足だとこういうときに困るぞ、と思ったのだ。
 結局、電子制御も取り入れながら、空圧制御・油圧制御にも優れたハイブリッドなタイプの義足を選択した。これは二年に一度電池を交換しなければならないが、毎日の充電は不要だ。
 幸い、義足を使い始めてから、避難所に行かなければならないほどの大災害には見舞われていない。
 しかし、今回こういう事態になって、毎日の充電が不要な義足を選んでおいてよかった、と心から思った。
 猛と蓮はテントに入るなりズボンを脱ぎ捨てて、下はパンツ一丁で眠りについた。北野は義足を外すために脱いだ己のテーパードパンツをしばらく眺めていたが、やはりこんなに大勢がいる場で下着姿のまま寝るのも行儀が悪いように感じ、はき直す。
 衣類を整えた北野は、満員のテントを見回し、遠く離れたところにいる砂日を発見した。
 六人の人間に四つの寝袋、そして夏ということで、封筒型の寝袋はチャックを開いてかけ布団のように扱われていた。砂日の寝袋に混ぜてもらうつもりでいたのだが、人を踏まずにあそこまで行くのは困難だろう。
 少し考え、面倒になって、手近な寝袋にもぐり込む。炭の匂いと焼肉の匂い、筋肉質な体。マサは北野が入ってきたことに気付きもせず、健康的な寝息を立てている。
 目をつむる。
 たらふく飲み食いした満腹感、足を外した開放感、楽しい時間を過ごした充足感、ふわふわとした酩酊感で、またたく間に眠りに落ちた。