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 交代を挟みながら高速道路を走り、愛知県で一度降りた。
 空模様は微妙で、パラパラと雨が降ったりやんだりを繰り返している。天気予報では、台風は当初の予想より速度が遅く、関東に到着するのは週明けになるだろうとのことだった。
 昨晩、北野は母親に電話でそのことを伝えて「だから、週末じゃなく週明けに帰るよ」と宣言した。母親は、いつ速度が上がるか分からないのだから少しでも早く帰ってきなさいと返した。北野は、もう間もなく俺たちは埼玉県に到着して、それ以降は埼玉県内をうろつく予定だから、万が一台風の速度が上がってもすぐに帰れるから大丈夫、と言い返した。母親が「まったくもう! 大きくなって、すっかり聞き分けが悪くなっちゃって!」とため息をついた。
 愛知県では、ショッピングモールに車を停めて、ファストファッションの店で服を買い足した。砂日はどうでもよさそうだったが、北野は少なくともトップスは毎日替えたかった。コインランドリーを利用してもよいのだろうが、手間や待ち時間を考えると買ってしまった方が楽だ。どうせ、ユウの金だ。
 ショッピングモールの中に百円ショップがあったため、そこでビニール傘と合羽を二つずつ購入した。和歌山県に着く頃にはどしゃぶりかもしれない。
 用事を済ませた北野は、ショッピングモールの中にいるであろう砂日を探して歩いた。
 彼は、飲食店の外の順番待ちスペースの丸椅子に腰かけてぼんやりしていた。
「お腹空いたの?」
「いや?」彼が首を横に振る。「椅子があったから」
 時刻は十時四十七分。飲食店の前には十一時オープンの札が立っている。
 中から店員が気忙しげに様子をうかがっているというのに、なんたる無頓着だろう。北野は笑ってしまった。一体いつから彼はここに座っていたのだろう。
「今日はここで食べようか」
「腹減ったの?」
「まあね。きみは? 全然空いてない?」
「食えっつわれたら全然入る」
「じゃあここにしよう。あと十分ちょっとで開くみたいだから」
 北野は店員に会釈をし、砂日の隣に腰を下ろす。「ここ、なんの店?」と砂日が店内を振り返る。
「味噌カツみたいだね」
 それすらも見ずに座っていたのか、と驚きながらも教えてやった。
 結局、オープンの三分前に店員が中に入れてくれた。
 北野は味噌カツ定食を頼んだ。砂日はカツカレーを頼んでいた。
 飯を食べながら「そういえば、和歌山県ってさ」と話を振る。
「ん?」
「和歌山県のどこなんだろうね、場所は。何か手がかりがあればいいんだけど」
「あー」砂日が視線を宙に投げる。「俺が五歳のときだからなぁ……」
「山なんだよね?」
「山、山。崖からの眺めが最高で」
「そこは、何かな。観光名所みたいなところ? お寺とか、神社みたいな」
「いや。キャンプ場」
「キャンプ場?」
 北野は頓狂な声を上げた。砂日が「キャンプ場。言ってなかったっけ?」と首をかしげる。
 キャンプ場。キャンプ場か。
 いくつかあたりをつけておこう、と昨日から隙間時間に和歌山県の観光名所を調べていたのだが、すべて無駄になった。
 気を取り直し、ちょっと味噌汁をすすってからテーブルの上にスマートフォンを置いた。《和歌山県 キャンプ場》と検索する。主要なキャンプ場の写真が掲載されているレジャーサイトを開き、「ある?」と砂日にスマートフォンを向ける。
「ええ〜?」
 砂日がカツカレーを頬張りながら、左手の先端で画面をスクロールしていく。
 すぐには見つからないだろう、と北野は高をくくっていた。
 キャンプ場の写真なんてどれも似たり寄ったりだ。「これかな」という候補はいくつか上がるだろうが、きっと確信には至らない。今日明日には和歌山県に入る見込みだが、正確な目的地に到着するためには、さらに数日かけて候補地を地道に回らなくてはならない。
 そんなことを考えていたため、「ん!」と大きく目を見開いた砂日に驚いた。
「ん?」
「これ!」
「どれ?」
 北野はわざと緩慢な動作でスマートフォンを覗き込んだ。
「これだって」
 砂日がせわしなく一覧に並ぶうちのひとつをタップする。目的のキャンプ場の詳細ページが開く。レジャーサイトのヘッダーと大きく表示されたキャンプ場の名前のせいで、写真は上部四分の一しか見えなくなる。北野はあくまでゆっくりとスマートフォンを取り上げ、画面をスクロールして写真を見た。なるほど、地面から伸びる大きな半円状のゲートが特徴的だ。
「こういうゲートがあったの?」
「これこれ。これだよ」
「でも、他にもこういうゲートのキャンプ場があるかもしれないし……」
「だからこれだってば! 分かんねぇやつだなぁ、お前!」
 苛立つ砂日を気にも留めず、一覧のページに戻るとのんびりと画面をスクロールする。前にスクロールしても、後ろにスクロールしても、他のページを確認しても、和歌山県には他にこのようなゲートのあるキャンプ場はないようだ。
「ここみたいだね」
「だからそう言ってるだろ」
 砂日ががぶがぶと水を飲み、コップを置くとピッチャーから水をつぎ足す。
 北野は大いに困惑していた。
 何に?
 こんなにあっさりと目的地が判明したことを、残念がっている自分にだ。
 目的地が見つからないのは困る。それは絶対だ。
 しかし、あまりに呆気なさすぎやしないか。
 山梨県でくすぶっていた先の見えない五日間を思うと、車を手に入れてからの時の流れは飛ぶように速い。
 何もかもがスムーズに進んでいるのに、わけの分からない焦燥感。
 絶えず、指の隙間からサラサラと砂が流れ落ちていってしまうかのような感覚。
 なんとかしなくては、と思う。
 何を?
 分からない。
「食わねーの?」
 砂日の声で我に返った。見ると、砂日が箸で北野の味噌カツを指している。六切れのカツのうち二切れが手つかずだ。ソースの味が濃すぎてなかなか箸が進まなかった。
「食べる?」
「食う」
 言うが早いか、彼は味噌カツを頬張った。一口食べて「うわ、濃っ」と笑いながらキャベツの千切りにも箸を伸ばす。
 食事を終え、北野の運転でホームセンターに向かった。砂日は「またホームセンター?」と呆れていた。カーナビを見ると、ホームセンターから歩いて十分もかからないところに銭湯があった。
「ここでお風呂に入っちゃおうか」
 ホームセンターの駐車場で、カーナビ上の銭湯を指す。
「昨日入ったじゃん!」
「普通は毎日入るんだよ」
「俺はパス。別に汗かいてねーもん」
 ひとまず、北野は一人でホームセンターに入った。
 砂日は寝て待っていると言っていたのだが、北野が買い物袋を置きに戻ると車はもぬけの殻だった。彼は車の鍵を持っていないため、ロックをせずにどこかへ行ってしまったのだ。おいおい、この車には死体があるんだぞ、車上荒らしにでも見つかったらどうする、と肩をすくめる。
 車の鍵をかけると銭湯に向かった。もしかすると砂日は銭湯に行ったのかもしれない、と彼の分の手ぬぐいや着替えも持って行ったのだが、周辺にも店内にも彼の姿はなかった。
 銭湯は古風な番台式だった。北野は銭湯自体が初めてだった。時間帯のせいか、北野のほかに客はいない。
「ここ、置いておいていいですか」
 北野が義足を床に置くと、番台は目を白黒させながら頷いた。
 当たり前だが、こんな小さな銭湯にシャワーキャリーはない。北野は床をずって移動した。
 そのように移動する際、着衣ならば尻と手を使うのだが、今は風呂に入るため全裸だ。常識的かつ衛生的に考えて、公共の床に性器を擦りつけながら移動するわけにはいかない。断端と手を床につき、主に手で体を支えながらぴょんぴょんと跳ねるように移動する。下手にシャワーキャリーを使うより、こちらの方がかえって楽かもしれない。
 体を洗い、不必要なまでにのんびりと湯船に浸かった。あまりに長く浸かったものだから、番台が一度様子を見に来たほどだ。
 風呂から上がると、待合のスペースでフルーツ牛乳を飲んだ。
 この銭湯は、入り口はひとつで、中に入ると下駄箱と待合のスペースがあり、そこから男湯と女湯に分かれているという構造だった。待合には大きな窓があり、外の様子がうかがえる。見るでもなく道路を眺めていると、だらだらと砂日が横切った。
 気付くかな、とひらりと手を振ってみる。気付いた彼が、しかめ面で銭湯の引き戸を開ける。
「おっせーよ。どこ行ったかと思った」
「きみは? どこに行ってたの?」
「散歩!」砂日がぱたぱたとTシャツの前面をつまんで引っ張り、生地と肌の間に風を入れる。「あっちーからさ、汗だくだよ」
「お風呂入る?」
「シャワー浴びる!」
 北野は彼に入湯代とお風呂セットを渡した。お風呂セットの内訳は、トラベル用のシャンプーとコンディショナーとボディソープのセット、着替え、手拭い、ビニール袋だ。最初のものは、スマートフォンで銭湯について検索すると『備え付けの石鹸などはない場合が多い』と表示されたため、ホームセンターで購入しておいた。
 砂日はカラスの行水の速度で上がってきた。
「行こうぜ」
 さっぱりとした顔の砂日に促される。彼の毛先は濡れているが、首から上の髪は濡れていない。ざっと体だけシャワーを浴びたようだ。ボディソープを使ったかどうかすら怪しい。
「何か飲む?」北野は待合の長椅子から立ち上がらずに訊ねる。「コーヒー牛乳とか、フルーツ牛乳とかあったよ。瓶のコーラもあるみたいだし……」
 砂日はコーラが飲みたいと言った。
 金を渡してやると、彼は手早くコーラを買って戻り、またたく間に飲み干した。
 もうどうしたって、銭湯に用はない。二人はホームセンターの駐車場に戻ると、和歌山県に向けて出発する。
 平和で、何ひとつ問題はない。
 北野一人、じりじりしている。