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23

 目覚めると、空が明るかった。
 隣の芝生に北野の姿はない。先に車に戻ったのだろうか、と車を覗きに行く。いない。車には鍵がかかっている。
 砂日はまずトイレに行き、それからサービスエリアの中に入った。営業はしているが、人はまばらだ。閉まっている店も多い。
 北野はガラガラのフードコートの片隅に、手持ち無沙汰に座っていた。砂日が近寄ると、彼はスマートフォンから顔を上げて「ああ」と腑抜けた声を出した。彼の前にはうどん屋の器が置かれている。
「おはよう」
「はよ。俺もなんか食いたい」
「はいはい」
 北野が財布から千円札を出してこちらに寄越した。
 砂日は注文をしに行き、呼び出しベルを受け取ると席に戻った。
 北野のうどんの器を覗く。空だった。つゆの中で、麺にからまりそこねた天かすがぐじゅぐじゅにふやけきっている。
「何時に起きた?」
「えっとね……六時前」
「今何時?」
 砂日が眉をひそめると、北野はちょっと笑って腕時計を見た。
「七時十六分」
「ずっとここにいた?」
 北野の気だるげな様子から、なんとなくそんな気がした。予想通り、彼は「いたよ」と頷く。
「なんか、雨が降りそうだったし……」
「車にいりゃよかったのに。そっちのが横になれるじゃん」
「横になったら、二度寝しそうだったし。鍵かけて寝ちゃったら、きみが入れなくて困るでしょ?」
「別に、窓叩くよ。多分お前、すぐに起きるだろ?」
 呼び出しベルが鳴った。砂日は会話を中断してラーメンを取りに行く。席に戻ると、北野が「うわぁ」と笑った。
「ん?」
「チャーシュー麺」
「うまそうだろ」割り箸を割る。
「朝からよく食べるね」
 だらだらとしゃべっていて、ラーメンが伸びてしまっては困る。砂日は麺をすすり出す。北野もそれ以上話を振ってはこなかった。
 ぺろりとチャーシュー麺を平らげた。
 返却口に食器を返しに行く。北野も立って、うどん屋に食器を返す。
 どちらからともなく駐車場へと向かう。いつまでもフードコートにいたって仕方がない。
 知らず知らず、砂日は運転席側に、北野は助手席側に向かっていた。車のドアを開ける直前にそのことに気が付き、「俺が運転すんの?」と車越しに声をかける。
 北野がちょっと目を見開いて、車を見た。彼もまた、己が助手席に向かっていることに無自覚だったようだ。彼が車のロックを解除して「嫌?」と首をかしげる。
「別にいいけど」
 砂日は運転席に乗り込む。
 嫌ではない。もう北野はやかましく運転に口を出したりしない。砂日自身、絶対に事故を起こしてはいけない、というプレッシャー下での運転にもだいぶ慣れた。すなわち、当初のように短い時間の運転ですぐに疲弊してしまうこともない。
 ただ、俺はこいつの何倍も運転を担当しているな、ということに気が付いただけだ。
 長くとも一時間、疲れたら五分や十分でもすぐに申し出て交代か休憩をしよう、と北野と取り決めていた。事故を防止するためだ。
 砂日は、短くとも四十分は続けて運転をする。対する北野は、長くとも十五分程度で「ごめん、ちょっと休憩」と車を停めていた。
「きみの方が、運転が上手いし……」
 助手席に乗り込んだ北野が、甘えるように微笑した。
 そのおっとりとしたさまに、砂日はどぎまぎする。
 一昨日の晩、金と車を手に入れてから北野は軟化した。それにしたって、この変わりようはちょっとすごいのではないか。
「お前、そんなだっけ?」砂日はからかい半分に言う。「初日と別人」
 頭の回転の速い北野は絶対に応酬してくるはずだ。そんな期待を裏切り、彼は顔色ひとつ変えずに「こんなだよ」とのんびりシートベルトを締めた。
「こんなものだよ」