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15

 優しく肩を揺すられる。ぼんやりと目を開くと、明るい中で北野が穏やかな微笑を浮かべ、砂日を見下ろしていた。
「おはよ」
「はーよ……。何時?」
「五時。野菜の朝市が六時からあるって書いてあったから、そろそろ行かないと邪魔になるかも」
 はえぇな、と苦言を呈しかけて、いや、そうでもないなと思い直す。
 昨日、まだ明るいうちにここに到着した。てっきり二、三十分休んで出発するものと思っていたのだが、北野がこてんと横になったため、ああ、ここで寝るのかと砂日もならった。あれはおそらく十六時かそこらの話だ。
 十八時ごろに喉の渇きで目を覚まし、腹が減っていたためエコバッグの中のあたりめを食いきって、足りなかったのでポテトチップスも開けて完食した。そのときまだ道の駅の売店は開いていて、本当はもっと腹にたまるものを買いたかったのだが、さすがに北野の胸の前にあるボディバッグをごそごそやると起こしてしまいそうで、やめておいた。彼は一日中具合が悪そうだったから、寝ているなら寝かしてやりたかったのだ。
 夜中の十二時ごろにもトイレに立ったが、実に十二時間以上、ほとんどぶっ通しでこのベンチで寝ていたことになる。つまり、この時間の起床は早くない。
「腹減ったぁ」
 Tシャツの裾から左腕の先端を差し込み、ぼりぼりと腹をかく。
 昨晩夕食を買っていないのだから、当然朝食も買っていない。こんな時間にスーパーは開いていない。この道の駅の朝市とやらで、もしかすると弁当も売り出されるのかもしれないが、その朝市が開かれるのも一時間後だという。
「近くにコンビニとかねぇのかなぁ」
 コンビニは高いからダメだって。
 そうぴしゃりと言われると思っていたのだが、意外にも北野はスマートフォンのマップアプリを立ち上げた。
「あるにはあるけど、三十分ぐらい歩かなきゃいけないよ」
「え、じゃあ歩こうぜ。今ならまだ涼しいし」
 炎天下の三十分は死ぬほど辛い。しかし、この時間ならまだ楽だ。砂日はそそくさと立ち上がりながら「でもいいの?」と一応確認する。
「ん?」
「お前、コンビニは高いからダメっつってたじゃん」
「あー、まあ、数十円の差だし、ものによっては安いものもあるからね。半額弁当にはかなわないけど、どうせ朝だし。開店直後のスーパーとコンビニならそんなに変わらないから」
 北野がにこにこと答えた。
 砂日は面食らう。なぜこいつはこんなに機嫌がいいのだ? 昨日はほとんど無表情だったのに。
「あ、そうか。体調治った?」
 考えられる唯一の可能性を口にした。
 砂日が十二時間寝たということは、一緒に行動している北野も十二時間寝たということだ。ぐっすりと眠って回復したのだろう。しかし、北野は「体調?」と首をかしげた。「だからぁ」と砂日は説明する。
「お前、今日スゲー機嫌いいじゃん。昨日はしんどそうだったのに。だから体調治ったのかなーって」
「ああ、まあ、それもあるけどね」
 北野はとても笑みが抑えきれないといった様子だ。
「実はね、見つかったんだよ。車貸してくれる人が」
 一瞬、彼の言葉の意味が分からなかった。遅れて理解し、「ウソ!」と大声を上げる。知らず笑顔が浮かぶ。
「え、嘘、マジで?」
「マジ、マジ。お金も貸してくれるって。ちょっと遠くの人だから、落ち合うのは今日の夜になっちゃうんだけど」
「全然いーよそれぐらい。ええ、もう、最高じゃん!」
 砂日はぴょんぴょんと飛び跳ねた。自然に「やった」と口から漏れる。
 やった、やった。
 これで和歌山県は目前だ。