「まだへこんでるの?」
父が笑いながら隣のベッドに腰掛けた。
一昨日ショッピングセンターでモーハンに振られたぼくは、呆然としたまま父に連れられてラジェシュのところまで行った。
「あれ」ネクタイを物色していたラジェシュが顔を上げる。「どうしたの?」
「振られました」
端的に答えると、ラジェシュは笑い転げた。
ひとしきり笑ったあとに「いや。ごめん。笑っちゃいけないね」と口元に手をやり、笑みを噛み殺しながらぼくに向き直る。
「ごめん。今、モーハンは色々あってナーバスになってるから。もしよかったら、これに懲りずに仲良くしてあげてほしいな」
言われなくとも、ぼくはモーハンと仲良くなりたいと常に考えている。しかし現状は前途遼遠だ。
昨日、ぼくたち——ぼくと父とラジェシュとアンナ——は植物園へ行った。モーハンは「用事があるから」と辞退した。かなり勇気を出して「な、なんの用事?」とたずねると、モーハンはちらとぼくを見てからすぐに逸らし「行きたいところがあるんだ」と口早に答えた。
「も、もしよかったら、だけど。そこに、……み、みんなで行かない?」
かすれた小声でなんとか言った。今にも口から心臓が飛び出しそうだ。次の瞬間、きゅうっと心臓が縮こまる。
「いや。一人で行きたいから」
一度のみならず二度も振られてしまい、ぼくは大いに打ちのめされた。
それだけではない。
昨日の朝、ぼくはリビングでちびちびコーヒーを飲みながらモーハンを待っていた。
もちろん彼が現れる保証はどこにもない。だが、先日の彼の日常然とした様子から、彼が早朝にどこかへ出かけるのは日課なのではないか、という気がなんとなくしていた。
果たして彼は現れた。しかし「おはよう」と声をかけたぼくを一瞥し、「おはよう」とだけ短く返すと、さっさとキッチンに消えてしまった。今日もぼくは性懲りもなく彼を待ち構えていたのだが、今朝に至ってはぼくが挨拶をする隙すら与えずに、目を伏せて逃げるように早足でリビングを横切っていってしまった。
どうしよう。
もうどうにもならないほどに嫌われてしまったのかな。
というか、そもそも。
「モーハンって一人でいるのが好きなのかな」
ぽつりと言ったぼくに父が首をかしげる。
「どうして?」
「だって、いつも一人で行動したがっているから」
一人でお茶をしたい。一人で出かけたい。自宅での食事だってそうだ。この家は、朝食は各人のタイミングでとるスタイルのようだが、みんなで食べるのが基本らしい夕飯時においても、モーハンだけは姿を現さない。そのことに誰も言及しないところを見るに、それは日常的な光景なのだろう。
もしモーハンが一人でいたいタイプなのであれば、何かにつけて寄っていくぼくはどう考えても迷惑かつ邪魔な存在だ。ぼくが接触を試みれば試みるほど嫌われる、という悪循環に陥ってしまう。
「ああ、まあ、確かにね」父が顎に手をやる。「でも、去年はそうじゃなかったよ。ごはんもみんなで食べていた。今年の彼が一人で行動したがっているのには、何か理由があるはずだよ」
「……不登校のせいで、親と一緒にいるのが気まずい……とか?」
「まあ、親と一緒にいるのは気まずいだろうね」
ラジェシュとアンナ、モーハンとの間には明白な溝がある。彼らはほとんど会話をしないし、モーハンのいない場でラジェシュやアンナが彼の名を口に出すことすら稀だ。
たった二週間の不登校でラジェシュがぼくの父にヘルプを出したところを見るに、ラジェシュとアンナの身近に今まで“不登校児”という存在はいなかったのだろう。ラジェシュとアンナが腫れ物に触るような扱いをするものだから、モーハンも従来のように親と接することができなくなり、どんどん溝が深まっていった——そんなところだろう。
そういえば、モーハンはどうして学校に行かなくなったのだろう。
「……いじめられて、人と関わるのが嫌になっちゃった……みたいな可能性ってあったりする?」
「ん? さあ、どうだろうね」
父が空とぼけた。彼は確実に理由を知っている。知っているが、ぼくに教える気はないらしい。
「ちょっと思い出してごらん」父が目を細める。「そもそも、きみにインドに来てほしいと言ったのはモーハンだよ。人と関わるのが嫌になったなら、まったくの初対面の人間が一ヶ月も自宅に滞在することを希望するかな?」
確かにそうだ。それに、初めて顔を合わせたときのモーハンはあんなにフレンドリーだったではないか。となると、今の彼が親のみならずぼくにも冷たい態度を取る理由はひとつきりだ。
「じゃあやっぱり」がっくりと肩を落とす。「原因はぼくにあるんだ。ぼくが口下手で退屈でつまらない人間だから、彼は愛想を尽かしたんだ」
「またその話?」父が笑って隣室を指す。「ちょっと行って聞いておいでよ」
「……これ以上彼に嫌われたくないよ……」
ぼくはベッドの上にうずくまった。父が立ち上がって部屋着のTシャツを脱ぎ、外出用の爽やかな空色のシャツに着替える。
「何。もうモーハンと友達になるのは諦める?」
「……諦めたくない、けど……」
「まあ、別に今すぐ聞きにいかなくてもいいよ」父がハーフパンツをジーンズに穿き替えて、ポケットにスマートフォンと財布を突っ込む。「好きなタイミングで聞いておいで。だって、今日きみはこの家で彼と二人きりなんだからね」
じわり、とぼくの体が熱を持つ。
そう。そうなのだ。
今日からラジェシュとアンナは仕事へ行く。父はここベンガルールで会いたい人が山ほどあって忙しい。このあたりはインドで一番のテック都市だから、IT系の仕事をしている父にとっては、友人や知人、憧れの人がいくらでもいるのだ。
「今夜は楽しい報告を聞かせてね」
「明日になるかも」
甘えた返事をしたぼくに、父が「ダメだよ。今夜だ」と笑顔で首を横に振る。
「多分だけど、時間が経てば経つほど話しかけづらくなっていくから。明日頑張るより、今日頑張ったほうが絶対いいよ」
父が「それじゃあね」と部屋を出ていく。
ぼくは一人きりの部屋できゅっと唇を結ぶ。
確かに、彼の言う通りだ。