3 仲良くなりたい

 パーティは無論、中止となった。
 モーハンはもうリビングに戻ってこなかったし、アンナは目を赤くしてベッドルームに引っ込んでしまった。残された三人も、この打ち沈んだ空気の中で楽しくパーティを続ける気にはなれなかった。
 ラジェシュの提案で三人で外に出た。マンションの中を案内してくれるという。父はすでにこの場所を知っているのだから、ぼくのための案内だ。
 最初から『大きなマンションだな』と感じてはいたものの、実態は想像以上に広大だった。なにしろ、敷地内に六棟ものタワーマンションが建っているのだ。円状に配置されたそれらの中心には、カフェ、公園、売店、ボウリング場、なんと屋外プールまである。ジムは各棟の十五階だ。
「誰も泳いでいないんですね」
 さっき売店でラジェシュが買ってくれたカルダモン風味の棒アイスを三人でかじりながら、プールサイドを歩く。円形のプールと正方形のプールとがあり、どちらも手入れが行き届いていて清潔だ。中庭を歩いていると、清掃道具を持った作業服の男性らとときどきすれ違う。
「暑いからねぇ」
 ラジェシュが人懐っこく笑った。モーハンの目の形はアンナに似ているが、体の骨格や表情の使い方はラジェシュに似ているな、とぼんやり思う。
「一応二十四時間使えるけど。夜に使う人がほとんどかな。水着は持ってきた?」
「ばっちり」
 頭上から父の声が降ってきた。「お前じゃないよ」とラジェシュが父を小突く。二人でけらけら笑い出す。
 ラジェシュといるせいで学生時代のテンションに戻っているのか、インドに来てからの父は普段よりもずっとうるさかった。声量が大きく、話すスピードも速く、表情の変化もオーバーで、ノリまで軽いものだから、正直かなりうっとうしい。
 ちなみにだが、ぼくも水着は持ってきていた。父からアドバイスを受けたのだ。サウナでもあるのかと楽しみにしていたのだが、プールでも十二分に嬉しい。
 頭をからっぽにしたいときなど、ジムのランニングマシーンで延々と走ったり、プールで延々と平泳ぎをしたりするのが好きだ。筋トレもよいのだが、どうも『一人でできる単調な有酸素運動』がストレス解消に繋がる性質たちらしい。
 でも、とサングラス越しにプールを眺める。
 形状からしても雰囲気からしても、このプールは『おしゃべりをしながらぱちゃぱちゃ浮かんで、まったり楽しむためのもの』だ。みながチルをしている中ぼくが空気を読まずにストイックな平泳ぎを始めたら、非難の目を浴びせられるだろう。
 もちろん今のように無人であれば好きに使って構わない。だが、こんな炎天下の下で泳いだらあっという間に全身を真っ赤に火傷してしまう。
 せっかくのプールだけれど、ここをリフレッシュ目的に使うことはできなさそうだな。
 まあいいか。さっき覗いたジムにはしっかりとランニングマシーンが設置されていたし。
 ふと、モーハンはプールが好きなのだろうか、と考える。
 ぼくはプールで人とたわむれることには興味がない。しかしモーハンがそれを好きなのであれば、彼とのんびりプールに浮かんで他愛もない会話をするのは、とても素敵なことかもしれない。

「ねぇ。モーハンがプールを好きかどうか知ってる?」
 夕食後、ラジェシュとのフィーカを終えてゲストルームに戻ってきた父をつかまえて聞いた。時刻は二十一時。本当はもっと早く聞きたかったのだが、あの案内のあとに父とラジェシュはボウリングへ行き(ぼくも誘われたのだが断ってジムへ行った)、また、まだナーバスな様子のアンナがいる夕飯の席でモーハンの名前を出してもよいものなのか判断できなかったため、こんなに遅い時間になってしまった。
 父がこともなげに隣室、つまりはモーハンの部屋を指す。
「聞いてきたら?」
 スウェーデンでの彼ならばあまりしないような茶化しかただ。
「聞けないよ」
 即答したぼくに父が「なんで」と笑う。
「だってもうなんか嫌われているし」
 ぼくはベッドの上で膝を抱えた。父が向かいのベッドに腰を下ろし、「どうしてそう思うの?」と優しく首をかしげる。
「だって全然しゃべってくれないし。こっちを見てすらくれなくなってきた」膝を抱えたままごろりとベッドに横たわる。「結局、どこへ行っても一緒なんだ。スウェーデンでもインドでも、相手が誰でも一緒。口下手で面白みがなくて一緒にいても全然楽しくないぼくなんかには、未来永劫友達なんかできないんだ」
「卑屈だなぁ」父が口角を上げたまま眉をちょっと八の字にする。「誰が口下手だって? ちゃんとしゃべれているじゃないか」
「そりゃ、家族とはしゃべれるよ」
 なぜなら、家族のことはすでによく知っているからだ。好きな話題も、嫌いな返しも、思考のくせも。だけど、他人のことは何も分からない。
「ねぇ、お父さんの知ってるモーハンの情報を全部教えて」
 真顔で言ったぼくに父が目をぱちくりさせる。
「なんで?」
「モーハンと友達になりたいから」起き直ってベッドの上にあぐらをかく。「昨日の時点で、モーハンは退屈なぼくにうんざりしてたと思う。それが今日、お寺に行きたいなんていうぼくの軽率な発言のせいで決定的に嫌われた。最悪だよ。モーハンがお寺を嫌いだって知ってたら、絶対にあんなことは言わなかったのに」
「『モーハンがお寺を嫌い』?」
「え?」ぼくは瞠目どうもくする。「そうでしょ。違うの?」
「聞いておいで」
 父がほほえんで隣室を指した。ぼくは「だからぁ、」と声を張り上げる。どれだけ大声を出したところで、これらの恥ずかしい会話をモーハンに知られる心配はない。ぼくたちはずっとスウェーデン語で話をしている。
「分からない? ぼくは今、モーハンと友達になれるチャンスを永遠に失うかどうかの瀬戸際に立たされているんだ。次間違えたら本当に終わりだと思う。だから今、お父さんからモーハンの情報を全部教えてもらって、それをもとに彼の喜ぶ会話を提供できれば……」
「モーハンは本当にきみのことが嫌いなのか?」ぴっ、と父が人差し指を一本立てた。ぴっ、ぴっ、とそれを揺らす。「もし嫌いだとして、それはきみとの会話が退屈なせいなのか? 『モーハンがお寺を嫌いだ』というのは真実か?」
 父が黙った。
 答えを考えている、という表情ではない。ただにやにやと愉快そうにぼくを見ている。
「……アンサーは?」
 しびれを切らして聞いた。ぴっ、と父が隣の部屋を指す。
「聞いてくればいい」
「だからぁ、」
「ダグ」
 名前を呼ばれてハッとした。その声があまりに優しく、真面目だったからだ。
「会話を間違えるのはね、別に悪いことじゃないよ。もちろん、故意に相手を傷つけるような発言をするべきではないけれど」まっすぐにぼくを見つめる。「収集したデータをもとに相手の喜ぶ会話だけをしたって、友達にはなれないよ。友達になりたければ、真摯しんしな気持ちで直接対話を積み重ねていくしかない。たくさん話して、間違えて、謝って、話し合って、歩み寄って。友達って、その過程でいつの間にかなっているものだから」
 ぼくは返事に窮した。そう、なのか? 友達がいたことがないから少しもぴんと来ない。
「それにね、」父がいたずらっぽい顔をする。「ぼくだって、きみに教えられるほどモーハンのことをよく知らないよ。だって、ぼくたちは去年初めて出会ったんだからね」
「え?」
 ぼくは眉根を寄せる。そんなわけがないだろう。だって、父は毎年インドに遊びにいっているのだから。
 たっぷり五分はフリーズしたのち、ようやく「……どういうこと?」と聞いた。待ち構えていたように父が隣室を指す。
「聞いておいで」
 ぼすん、とぼくはベッドに突っ伏した。馬鹿馬鹿しい。息子がこんなに真剣に相談しているというのに、なぜ父はにこにこと上機嫌そうに受け流すばかりなのか。
「ダグ」
 父が笑みを含んだ声で聞いた。一度は無視をしたものの、再び呼ばれて「何……」と枕に顔をうずめたままくぐもった声を出す。
「ホテル、予約する?」
「はぁ?」意味が不明すぎて、しかめっ面を思わず上げる。
 にまり、と父が笑う。
「だって、きみは他人の家で暮らすのは嫌だろう?」
 ぼくは言葉を失った。
 そうだ。本当だ。なぜぼくはこの家に来てからただの一度も『こんな他人の家で他人と寝起きするのは苦痛だから、今すぐ父と親子水入らずのホテル泊をしたい』と考えていないのだ? 考えるだろう、普通、ぼくなら。
 だってここにはモーハンがいるし。
 モーハンがいるところに、ぼくもいたいし。
 コミュニケーション能力が最低ランクのぼくがモーハンと友達になるためには、モーハンの家で一ヶ月暮らす、というのはこの上ないシチュエーションだと思うし。
 いや、そもそもぼくはどうしてこんなにモーハンと友達になりたいのだ?
 初めて顔を合わせたときのモーハンは非常に友好的だった。事前に聞いていた『ぼくに会いたがっている』『ぼくに相談に乗ってほしがっている』という情報もあわせて、人懐っこく話しかけてくれた彼にぼくが『友達になりたい』という感情を抱くのは自然なことだろう。
 だが、今の彼はぼくに話しかけてなどくれないし、その態度にはフレンドリーさのかけらもない。
 にも関わらず、ぼくは依然いぜんとして彼と友達になりたいと望み続けている。
 初めて会ったときの彼と、今の彼。少しも変わっていないことがひとつだけある。
 彼の容姿だ。
 ぐしゃりと頭をかく。
「お父さん」
 上目で父を見る。
「ん?」
「あのさ。見た目が好きだから友達になりたい、ってすごく差別的でいけないことだよね?」
「見た目が好きだから友達にならない、も同じぐらい差別的でいけないことじゃない?」
 間髪を入れずに言い返された。「確かに」とぼくは頷く。
 父がベッドの上をスライドして枕側に移動する。
「どうでもいいんだよ。理由なんて」二人のベッドの間に置かれたサイドテーブルの上、照明のリモコンに手を伸ばす。「友達になりたいって強く思ったなら、その気持ちを大切にして行動すべきだ。そんな出会いは人生でそう何度もあるものじゃないんだから」
 さあもう寝よう、と父が照明を落とした。間もなく父の健やかな寝息が聞こえてくる。ぼくは、まだまだ寝付けそうにない。