モーハンの家からお寺まで、バスと電車を乗り継いで一時間半だった。
しかし実際には三時間近くかかった。バスの中で一度、電車の中で一度、モーハンの具合が悪くなったのだ。
「ごめん」
バスを降りた道端で、電車を降りた駅のホームで、モーハンがうずくまってかたかたと震えながら謝罪した。
「ごめん……なんか緊張しちゃって」
「全然いいよ」
隣に座る彼の手に、ぼくの手のひらをそっと重ねる。
「ねぇもうやめようかな」
顔を伏せたまま、思い詰めたようにモーハンが言った。
「ん?」首をかしげて彼の顔を覗き込む。「今日はやめて、また今度にする?」
「でももうあさって手術だし」ぱっとモーハンが緊迫した瞳を上げる。「ねぇもうやめようかな?」
「大丈夫だよ」
とんとん、と彼の手の甲を指先で優しく叩く。
ぼくはいまだに、モーハンが人々からプージャやプラナームをされる動画を視聴していなかった。
だがそれは、当初のように『見て引いてしまうのが怖いから』ではない。『見る必要がないと感じているから』だ。
彼がプージャやプラナームをされる場面を目の当たりにしても受け入れられるんじゃないかなぁ、という根拠のない呑気な自信が、今のぼくにはあったのだ。
相変わらず、彼と外にいると奇妙な緊張感をはらんだ不快な視線をしばしば感じる。
今日までぼくはそれらを無視してきた。不躾な真似をする人々のことを気にかける必要はない、と考えていたからだ。
だが数十分前、何気なくそちらに目をやって、ぼくの視線に気付いた相手がパッと気まずそうに目を逸らすまでのコンマ一秒で不思議な感覚を覚えた。
なんだ?
実体を捉えるために周囲を観察する。
人々がモーハンの姿を認めた瞬間、程度の差はあれ大体はうろたえる。しばらく見入り、やがてぼくなりモーハンなりと目が合うと、先日彼がこぼしていた通り『何も見ていませんよ』という顔を作ってサッとよそを向くものが大半だ。
目が合ってから逸らすまでのほんの刹那。
あるものは気味が悪そうにしている。あるものは動揺している。あるものは困惑している。そして、あるものはそわそわと葛藤している。
外見で人種を判断すべきではないが、感覚的にぼくが『インド人かな』と思う人々——モーハンが言うところの“あたらしい”インド人も古いインド人もひっくるめて——に限って言えば、葛藤の目色をしているものが非常に多い。
これはただの思い込みなのかもしれない。だけど、ぼくは彼らの目の中に興奮と緊張の色を確かに見たように思うのだ。まるで、憧れの有名人とばったり出くわしたかのような。
あれだけたくさんの動画やニュースで取り上げられているのだから、ヒンドゥー教徒にとってモーハンはかなり広く知られた存在のはずだ。スウェーデンの七倍以上もの国土面積を持つこの広大なインドで、西から東から、もちろん南のベンガルールからも、生き神であるモーハンにプージャを捧げようと北のハリドワールを訪れた、また、訪れようと計画していた者は多かったのではないか。
ハリドワールでは『モーハンを神として扱ってもまったく失礼にはあたらないし、問題にもならない』という共通認識が確実にあった。人々は安心しきってモーハンにプージャを捧げ、プラナームをして、食べ物を提供した。
そんなモーハンが、聖地ハリドワールから突然姿を消した。
人々は『なぜ?』と頭をひねったことだろう。『もしかして、神として生きていくことに嫌気がさした?』。
そうした状況下で、人々は近代的なIT都市であるベンガルールでたまたまモーハンを目撃する。
人々は驚き、喜び、そして思い悩む。
この場でモーハンにプージャやプラナームをしてもよいものなのだろうか? もし彼が四六時中“神”として扱われることに疲れて、ハリドワールから遠く離れたベンガルールに——ハリドワールよりもずっとずっと宗教色の薄いベンガルールに——わざわざ越してきたのであれば、そうした行いは慎むべきだ。“あたらしい”この地で“スペシャル”な彼に軽率な真似をして、通りすがりの誰かに動画を撮られて拡散され、バッシングの標的になるリスクも避けたい。ふとモーハンからの視線に気が付く。彼は怪訝そうな、こわばった表情でこちらの動向を探るような目つきをしている。動画で見たハリドワールでのモーハンは、人々からの視線にゆったりとした微笑で応え、プージャやプラナームを歓迎する姿勢を見せていたのに。“人間”として静かに暮らしたい彼をじろじろと見てしまって、不愉快に思われただろうか?
“あたらしい”人々は素早くモーハンから視線を逸らし、『はじめから何も見ていませんよ』という態度を繕う。
そんな妄想を繰り広げていたぼくは、モーハンに接近する人影を認めるのが遅れた。気付いたときにはもう、その老齢の女性はモーハンの足元にうずくまっていた。
女性は膝でも脛でも足首でもなく、モーハンの靴のつま先に躊躇なく触れた。上方から見ているため定かではないが、あるいは彼女は額すらモーハンのつま先に触れさせていたかもしれない。モーハンが手を伸ばして女性の頭部を触る。女性が感極まったうるんだ瞳でモーハンを見上げる。
ぼくは周囲に視線を走らせる。モーハンと女性のやりとりに、多くの目が釘付けになっている。
明らかに引いているもの。『今何が起こっているのだ?』と混乱しているもの。好奇の顔でスマートフォンを向けているもの。そして、なんだか少し羨ましそうなもの——羨ましそうだけれど、プラナームを受けたモーハンの表情が硬いままなため『あ、やっぱり今の彼にプラナームをしてはいけなかったのだ』といたたまれない様子のもの。
インド人らしき人物に限って言えば、最後の反応をしているものがもっとも多い。
「ダグ?」
名前を呼ばれて我に返る。見下ろすと、もうモーハンの足元から女性は消えていた。
モーハンがいぶかるように聞く。
「気のせいだったらごめん。今、なんか笑ってる?」
ぼくの表情筋は乏しい。問われて初めて、ああ、確かに笑っているなと自覚する。
「うん」
モーハンが眉間の皺を深くする。
「……なんで?」
「みんながきみにプラナームしたがっている」
モーハンがきょとんと目を見開いた。五秒ほどそのまま固まり、にわかに噴き出す。
「どこを見てそう思ったわけ。え、なに? ぼくを励ますためのジョーク?」
「ジョークじゃないよ。ただ、どこをどう見てもそうだっただけ」
「どこをどう見てもそうではないでしょ。もしそう見えたのなら、それはきみの思い違いだよ」
けらけらと笑うモーハンに、ぼくは首を傾ける。
思い違い、なのだろうか? ぼくはそうは思わない。
「あー笑った……」モーハンが笑いすぎて出たらしい目尻の涙を親指の付け根でぬぐう。「まあ、でも、ありかもね。そういうマインドセットは」
パッとモーハンがぼくを見上げる。長いまつ毛越しに見える緑の瞳が水気をまといきらきら光って、一層綺麗だ。
「え、引いてない?」
「引いてないよ」
きっぱりと言い切った。本当に、まったく引いていなかった。
そこからの道のり、モーハンはすっかりリラックスした様子だった。
週に一度“神さま”をやりに来ているだけあって、『お寺ではモーハンを神として扱ってよい』という意識が人々の中に浸透しているらしかった。
お寺の最寄駅を出るなり一人がモーハンにプラナームをしに寄ってきた。落ち着いてプラナームを受ける彼を見て、一人、また一人と増えてゆく。誰かが彼の首にマリーゴールドの花輪をかけてからは尚更だ。
とうとう前に進めなくなったモーハンが「待って待って」と周囲に笑いかける。
「一旦行こう、一旦」
ぞろぞろと、人の波に流されるようにお寺へと向かう。彼の上半身から生える三本の手は人々に祝福を与えるために空けられている。だけどしっぽの手で、依然としてぼくと繋がり続けてもいる。モーハンがにこにこと周囲に笑顔を振りまきながらもぼくの手を握り続けていてくれることに——特別ぼくに意識を向け続けていてくれることに——恥ずかしいほどの優越感を覚える。
お寺のゲートを通る際にはもちろん入場料がかかる。しかし、モーハンがぼくを「友達」と指したがために当たり前のように無料になった。お金を払わないまま入場券を渡される。
「これ、特別チケットだからあとでお菓子もらえるよ」モーハンがぼくに耳打ちする。「あと、プージャするときに優先的に前に行けたりとか」
敷地内は土足厳禁らしかった。みんなに倣って靴を脱ぐ。どうも靴を預けるには料金がかかるらしいのだが、ここでもモーハンの目線ひとつで何も払わずに靴を預かってもらえた。
いつの間にやらモーハンの首にかかる花輪は五重にも六重にもなっていた。
長い通路を進み、メインの建物の前に出る。電車の中から見たときも感じていたが、間近で見てもユニークな建物だ。なにしろ、宗教的な装飾の施された白い石造りの部分と、情緒のない真っ青なガラスの部分とが超然と共存しているのだ。
モーハンがまたぼくの耳に顔を寄せる。
「ここからはほんと長いから。好きにうろうろしてて。なんなら先に帰ってもいいよ。帰るならチャットだけ入れておいて」
耳元でこしょこしょとささやかれるうち、自然と赤面したぼくを気に留めることもなく、モーハンがぼくと繋いでいた手をするりとほどくと、笑顔で手を振り離れていった。
メインの建物の前の開けた空間に、一メートル四方、高さ三十センチほどの台が置かれている。
僧らしき男性がその上に真っ赤な布を敷く。モーハンが慣れた仕草でそこに座す。女性が彼から花輪を外す。モーハンがシャツを脱ぎ、家から着ていたドーティ(アイボリーの大きな布をズボン状に巻きつけたもの)一枚きりになる。女性が花輪をかけ直す。モーハンが手を振って女性に何かを言う。重いよ、とでも言ったのだろうか。女性が三つの花輪を残して残りの三つをどこかへ運んでゆく。僧たちが金色の道具を、花を、モーハンの周りに整然と並べてゆく。民衆がわらわらとモーハンの前に集まり、地べたにあぐらをかく。
ランプに、お香に、火が点けられる。
知らぬ間にモーハンの側に小規模な演奏隊が控えていた。
一人の僧がモーハンの前に出てお決まりらしい動作をいくつかする。やがて演奏が始まり、人々が声を揃えて歌い出す。簡単なリズム、簡単なフレーズ。すぐに覚えて口ずさむことができる。
〽Hare Krishna Hare Krishna
Krishna Krishna Hare Hare
Hare Rama Hare Rama
Rama Rama Hare Hare
マントラソング、だったか。“彼”に捧げるための歌だ。
あとからあとから人がやってくる。このお寺自体がそもそも人気であることも関係しているのだろうが、思い立ってSNSで検索すると『あのお寺にいつもの生き神の少年が来ている』と拡散しているアカウントをいくつも見つけた。リポストの数からして、その投稿を見てお寺に駆けつけた人間も決して少なくないはずだ。
ふと気になってモーハンの前に座る人々を数える。思わず二度数え直した。なぜなら、入れ替わり立ち替わりしながらも、常時ざっと百人以上が彼に歌と祈りを捧げていたからだ。
この中には、街中でモーハンを見かけた際に彼を気遣ってサッと素知らぬ顔をする“あたらしい”ヒンドゥー教徒も数多いるだろう。旅行者らしき、あるいは異教徒かもしれない人間もそこにはいる。旅行者らしき彼らは——入場料を払ってヒンドゥー教の寺院に入っているぐらいなのだから、もともとヒンドゥー教の神々の造形に好意的な感情を持っていた、というせいもあるのだろうが——好奇の目で列の後部に加わり、壇上で微笑むモーハンを見つめ、皆とマントラソングを口ずさむうち、ぽーっと心酔の表情になってゆく。ことによると彼らはモーハンを“神”だとは認識しておらず、『ここにいるヒンドゥー教徒たちは壇上の少年を通して天の神に祈っているのだ』と誤解しているのかもしれないし、遠目に見る人などは、スカーサナの姿勢で微動だにしないモーハンを精巧な神像だと思い込んでいるのかもしれない。
それでもだ。
内心はどうあれ、事実今多くの人間がごく自然にモーハンにプージャを捧げている。
ラジェシュの言葉を思い出す。
『これこそが彼のあるべき姿だ』
入り口の看板には、このお寺は平日は十三時に一度閉まり、十六時十五分からまた開くと記載されていた。しかし今日は一向に閉まる気配がなかった。言うまでもなく、モーハンが来ているからだ。
ぼくたちがここに到着したのは十一時過ぎだった。十八時前、ようやくモーハンと合流できた。
「ごめんごめん、お待たせ」
清々しい疲労を滲ませた顔でモーハンが手を振った。彼がぼくの提げているレジ袋に目を留める。
「何か買ったの?」
「クリアファイルとポストカード」
「どんな?」
引かれるだろうか、と一瞬悩む。すぐに、いや大丈夫だろうと袋からそれらを出した。予想通り、それを見たモーハンが笑い出す。
「なんでぼくのグッズ買ってるの?」
「いや、なんか良かったから」
お寺の出口で全員に振る舞われているお粥をさっと食べ、手を繋いで帰路に着く。
電車の中、ほくほくとした顔のモーハンに声をかける。
「進路に“神さま”というのは案外ありかもね」
「え?」モーハンが顔を上げる。
「もちろんいつまでできるかは分からないよ。でも、意外とやっていけるんじゃないかなって、今日見てて思った」
口角を上げたぼくは、直後に顔を凍り付かせる。
モーハンがひどく傷ついた表情をしていたからだ。