19 一緒に料理

 ぼくが玉ねぎをみじん切りにする一定のリズムと、モーハンがトマトを適当なサイズに切る『たん、……たんっ』というまばらな音がキッチンに響いている。
 数分前にぼくがした「どっち切りたい?」という質問に、彼は初め玉ねぎを選択した。しかし皮を剥いてから包丁を持たせたところ、つるつると玉ねぎの上で滑るやいばで今にも指を切ってしまいそうだったため、即座に交代した。玉ねぎは彼がもう少し包丁に慣れてから再トライしてもらおう。もし今後も継続的に料理をするというのであれば、彼が親に頼んでフードプロセッサやスライサーを買ってもらうという手もある。
「ダグって器用だよねぇ」
 モーハンがぼくの手元を見ながらばらばらの大きさにカットしたトマトをミキサーに入れてゆく。
「ヘタ入ってるよ」
 指摘すると、彼が「あっ」とミキサーの中に手を突っ込んだ。ぼくはまな板の上に包丁を投げ出し、「あっぶな」と彼の手首をつかんでミキサーの外に出す。
「ん?」
「コンセント挿さってるって。うっかり作動して手がぐちゃぐちゃになったらどうするの」
「え、怖」モーハンが青ざめる。「ぼくやっぱり料理無理かも……」
「こんな序盤で諦めない。とりあえず一回は最後までやってみようよ。トングある?」
「え、トング。えっと」
 モーハンがカトラリーの引き出しを開ける。そこにはなかったようで、隣の引き出しも開ける。「あった!」と嬉しそうに金属製のトングを掲げる。
「ミキサーの中に間違えて何かを入れちゃったときは、トングで取って」ぼくはミキサーのプラグをコンセントから抜く。「もう一旦抜いておくけど。トングで取るくせをつけて。回転してなくても、刃に触ったら危ないから」
「はい……」
 モーハンがトマトをすべてミキサーに入れたのを見届けてから、コンセントにプラグを挿す。「ふた押さえててね」とアドバイスをしてからミキサーのスイッチを入れてもらう。振動するミキサーに「おお」と短い声を上げるモーハンを尻目に、深型のフライパンにギーを敷き、レシピ通りにホールスパイスを加える。隣の鍋の中ではバスマティライスがくつくつとゆだっている。
 モーハンがミキサーを止め、中を覗いて頭を揺らす。それからぼくの真横に立つ。
「ジーラもうちょっと入れよう」
 ぱらぱらと彼がホールスパイスのジーラを追加する。熱された油の中でホールスパイスの周りにしゅわしゅわと気泡が立つ。すんすん、とモーハンが鼻を鳴らして目を細める。
「いーい匂い」
「玉ねぎ炒める?」
「ん」モーハンが背筋を伸ばす。「やってみる」
 彼がまな板の上の玉ねぎと唐辛子をすくい上げ、フライパンへと移す。油が盛大に跳ねて「わぁっ」と飛びすさる。
「大丈夫?」
 顔を覗き込むと、「大丈夫」と照れくさそうに答えた。
「びっくりした」
 鼻歌まじりに木べらを動かすモーハンを『かわいいなぁ』と眺めながら、昨夕調べた情報について考える。
 検索すると『プラナームはインド人にとって特別なことではない』と出た。親族の集まりで年長者にするのはもちろん、もっと日常的に、友人に軽い感謝の意(例えばごはんを奢ってもらっただとか)をあらわす際に使う人も最近は多いらしい。
 だけど、モーハンは『ぼくがプラナームをされると周囲の人がぎょっとする』と言っていた。
 外国人が多い、というここの土地柄のせいだろうか。SNSで、アメリカの大学に通うインド人が卒業証書を授与された際に学長にプラナームをして困惑される、という動画を観た。
 いや。いくら外国人が多いと言っても、ここはインドである。このマンションに住む外国人が働くオフィスにはきっと多くのインド人がいて、プラナームを目にする機会も多分にあるはずだ。
 となると行為の本気度の違いか。
 いくつかの動画を確認したが、現在主に行われているプラナームは『立ったまま背中を丸めて相手のすねや足首にちょんと触る』というものだ。友人に冗談めかして行う場合はさらに軽く、足に手を伸ばしかけたところを相手が笑って押しとどめる、という流れがお約束らしい。
 そんな中、大人が真剣な表情で子供の足元にうずくまってプラナームをし、子供がそれを当たり前のことのように受け入れていたら。
 明らかに異様で奇妙な光景だ。
 自動再生される関連動画をなかば機械的に視聴していたぼくは、突然画面に現れたモーハンに心臓が止まりそうなほど驚いた。とっさに停止ボタンを押し、一度タブレットを脇に置いてベッドにうつ伏せになる。十五分ほどのち、おそるおそる再度タブレットを手に取る。
 スリープを解除する。バンと画面に表示されたモーハンの微笑に改めて動揺しながら、動画のフルスクリーンを解除して概要欄をチェックする。
《ヒンドゥー教の聖地・ハリドワールで生き神として崇拝されている少年へのインタビュー》
 ぼくはもう一度ベッドに突っ伏した。
 たっぷり五十分はかけて心を落ち着かせてからタブレットを開く。動画アプリを閉じ、ウェブブラウザで《ハリドワール 生き神 少年》と検索する。ずらりと表示された検索結果をそっとスクロールする。画像の欄に並ぶモーハンの顔写真を見て、またもタブレットをスリープさせる。
 動画を観れば、記事を読めば、画像をさらに見てゆけば、きっとプラナームやお祈りプージャをされるモーハンの姿を見ることになる。
 見るのが怖い。だって、引いてしまったらどうすれば?
「ダグ。ダグ?」
 名前を呼ばれて我に返る。
「んっ?」
「玉ねぎってこのぐらいでいいのかなぁ」
 見ると、フライパンの中で紫玉ねぎがくったりと薄茶色になっていた。レシピサイトの画像と見比べて「いいんじゃない」と答える。
 スーパーマーケットで購入したニンニクとショウガのペーストを加え、少し炒めてからトマトを流し込む。戦々恐々とトマトを流し込んだモーハンが、拍子抜けしたような顔でぼくを見上げる。
「トマトって跳ねないんだね」
「ん? ああ。玉ねぎが油を吸ったからかな。玉ねぎでフライパンの温度がさっきよりも下がってる、とかもあるかも」
 適当にした発言に「あ、そういうこと?」と感心したような顔をされ、「いや分かんないけど」とスマートフォンで調べかける。と、モーハンが「あ、スパイス! パウダースパイス出してない!」と大きな声を出した。
「え? あ、ほんとだ」
 初めに小皿に出しておくつもりですっかり忘れていた。モーハンが木べらでフライパンをかき混ぜながら「え、ダグスパイス」とすがるように言う。
「いやぼく分かんないって。だっておばあちゃんの味がいいんでしょ?」
「ぼくだって分かんないよ。おばあちゃんのレシピの分量知らないもん。そのレシピサイトに載ってる分量に、適当にパプリカ足して」
「いや分かんない分かんない。代わるからきみが出しなよ」
 彼がフライパンのふちに木べらを立てかけてくれれば、それでよかった。しかし彼は、木べらの柄を握ったまま「え、じゃあお願い」とこちらに差し出した。
 一瞬固まる。
 モーハンに不思議そうに首をかしげられ「あ、うん」と急いで受け取る。木べらの柄は長くない。気を付けても彼の手に触れてしまい、じわりと体温が上がる。反射的に彼の様子をうかがう。彼は何も気にしていない様子で、小皿を手にスパイスの引き出しへと向かう。
 ステンレスかアルミか、丸い金属製の容器に入ったスパイスをひとつのスプーンで小皿へと移してゆく。スプーンに付着した微量のスパイスが別の容器に入ってしまうのでは、と気にかかったが、しばらくのちに『まあいいか』と思考を放棄した。だって、モーハンはまるで頓着していないのだ。
 やはり、インドに来てからぼくは少し適当になってきている。どうせならもっと適当になって、『モーハンが熱心なヒンドゥー教徒から神として崇められていること』も『まぁいいか』と流せるようになりたいのだが。
 ちゃっ、と横からフライパンにパウダースパイスが投入された。それを木べらでトマトと玉ねぎに混ぜ込んでゆく。「ああ、めちゃくちゃいい匂い」とモーハンが恍惚の表情を浮かべる。
「缶詰開けてくれる?」
 お願いすると、モーハンが「ん」とラジマの水煮缶を引き寄せた。缶切りがなくても開けられるタブ式のタイプだ。
「あっ」
「ん?」
 聞き返しながらも、ぼくは彼の短い悲鳴に何が起こったかをほとんど察していた。見ると、案の定モーハンが取れてしまった缶のタブを片手に「ど、どうしよう」とうろたえている。
「大丈夫大丈夫。缶切りで開ければいいよ」
「え、缶切り……どこ?」
「それは知らない。カトラリーの引き出しにない?」
 モーハンがカトラリーの引き出しに飛びついた。中を隅々まで見て、さっきトングを見つけた隣も覗いてから「……ない」と青ざめる。と、ぼくのスマートフォンからアラーム音が鳴る。
「え、な、何?」
 慌てふためくモーハンに、落ち着いて「お米がゆだった」と答える。
「お米、湯切りしてくれる? シンクの上にザルを置いて、ざばっと鍋の中身を開けてくれればそれでいいから」
 ザルはあらかじめ作業台に用意しておいた。モーハンが「え、でもラジマは」と缶詰と米の鍋を交互に見やる。
「ラジマはぼくがやるよ」
 フライパンと鍋、両方の火を止める。「火傷しないようにね」とモーハンに声をかけてからスプーンを一本取りにゆく。ざばり、とモーハンがザルに米を開ける。
「軽く水気を切ってから、お米を鍋に戻して、ふたをしてしばらく蒸らす。あ、一応言うけど火にはかけないでね」
 缶の切れ目にぐっぐっとスプーンを差し込みながら伝えた。僕の家では、茹でた米は蒸らさずそのままサラダなどに使う。ちょっと芯の残った感じが好きなのだが、今回参考にしたインドのレシピサイトには『蒸らす』とあったためその通りに告げた。
 手順を完了したモーハンが「できた」と安堵の表情でぼくを見る。
「ぼくもできた」 
 無事に開いた缶を彼に示す。
「あ、缶切りあったんだ」
「いや。スプーンで開けた」
 小さな使い切りサイズの缶だ。中身を汁ごとフライパンに移し、火をつける。視線を感じて見下ろすと、モーハンが変な顔でぼくを見つめていた。
「ん?」
「……缶詰ってスプーンで開くの?」
「開くよ。これは切れ目が入ってるから楽だけど、入ってないタイプでも力を入れれば全然開く」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「親に教えてもらったから」
 ぼくたち家族は、多くのスウェーデン人と同じく夏休みになると別荘サマーハウスへ行く。サマーハウスにいるときの食事は、荒天時以外は庭でとる。庭での食事中に缶詰を開けようとしてタブが取れた際、家の中に缶切りを取りに行くのを面倒がった父がスプーンで開けてくれたのだ。
 ふと、視界の端にじゃがいもを認める。
「あっ」
 思わず声を上げた。モーハンが「んっ?」とぼくの視線の先を辿り、同じく「あっ」と短い声を上げる。ジーラ・アルーというじゃがいもをジーラで炒めた簡単な料理も一緒に作ろう、と昨日スーパーで買っておいたのだ。
「ジーラ・アルーはまた今度にしようか」
「え、なんで。まだ間に合うよ」
 ぼくは木べらをフライパンのふちに立てかけ、じゃがいもを水で洗うとするすると包丁で皮を剥く。モーハンが「なんでそんなに速いの?」と目を白黒させる。
「好きだから。じゃがいもって、スウェーデンではかなり頻繁に使う食材なんだよ」
 ガラスのボウルに水を張り、適当なサイズにカットしたじゃがいもを次々放り込んでゆく。水を切り、ラップをして電子レンジで二分加熱する。レシピに記載の方法は『丸のまま茹でて、冷めてから皮を剥いてカットする』だったが、こちらのほうが早い。電子レンジが鳴るのを待つ間に何度かラジマをかき混ぜる。
「あ、そういえば塩入れた?」
「入れてない」モーハンが首を横に振る。
「味見しながらちょっとずつ入れて。きみの好きな濃さでいいよ」
 モーハンがスプーンと小皿を片手に「うん。……うん?」と首をかしげつつ塩を足すかたわら、ぼくはほくほくになったじゃがいものボウルを作業台に置き、新しいフライパンをコンロにかけた。ギーと、ジーラを入れる。
「え、これもジーラ多めがいい?」
「多めがいい」
 わりと思い切った量を入れてから「このぐらい?」とたずねた。モーハンが「いいね」と頭を揺らす。
「あ。スパイス小皿に出してほしい」
「オッケー」モーハンが棚から小皿を取り出す。「え、ジーラパウダー?」
「多分」己のスマートフォンを顎で示す。「サイト見て」
「えーっと。ジーラパウダーとコリアンダーパウダー、と、チリペッパー。あ、オプションでアムチュールとヒングだって。どっちも入れたい。きみ、すっぱいの平気?」
「何味でも好きだよ」
 モーハンがスパイスを金属の容器から小皿へと移す。最後に、彼はガラスのビンを手に取った。中に白いプラスチック製の容器が入っている。ビンのふたに手をかけ「んっ」と力む。開けようか、と手を差し出しかけたところでカキュッとふたが回る。
 腐敗臭がした。
 え、と戸惑う。現実逃避のように『気のせいかしら』とすら思う。モーハンがプラスチックの容器を取り出してふたを開ける。絶対に気のせいではない。腐敗臭の出所はそこだ。それなのに、モーハンはまったく動じた様子もなくその中の粉を小皿に加えた。彼がそれをガラス容器に密閉するのを待ってから、おずおずとたずねる。
「……それって、すっぱいやつ?」
「ううん。これはヒングだよ。すっぱいのはアムチュール」
「ヒング……腐ってない?」
「腐ってない腐ってない」モーハンが笑う。「独特の臭いするよねぇ。でも、火にかけたらいい匂いになるから大丈夫だよ」
 嘘でしょ? と漏らす前にモーハンがレシピに従って少量の水とスパイスを油の中に投入した。盛大に油が跳ねる。腐敗臭が近くなる。ものの数秒でそれは消え失せた。ただコクのあるいい香りばかりが部屋に広がる。
 呆然としているぼくに、モーハンがより一層ころころと笑う。
「アルー入れなくてもいいの?」
 彼に指摘されて慌てて入れた。ちゃっちゃと混ぜて、塩も加え、しばらくかき混ぜたのちに火から下ろす。
 ジーラ・アルーのフライパンを作業台へと移し、空いたコンロでミルクパンに湯を沸かす。マサラチャイを入れるためだ。今日の午前中に思い立って作り方を調べたら非常に簡単だったため、即座にマンションの売店にアッサムの茶葉(正確には茶葉を砕いて粒状にしたもの)を買いに行った。
 ステンレス製のすり鉢にホールスパイスを入れてゆく。横からモーハンが甘えた声を出す。
「ぼくシナモン多めが好き」
 口にしようかどうしようか、ちょっと迷ったのちに「ぼくも」と言ってみる。「え」とモーハンが目を丸くする。
「ダグ、シナモン知ってるの?」
「知ってるよ。シナモンは世界的に見ても広く使われてるスパイスだと思う。スウェーデンのポピュラーなおやつにシナモンロールっていうのがあって……、カルダモンパウダーを練り込んだ生地に、シナモンパウダーの入ったフィリングを塗って焼くんだけど」
「え、おいしそう」モーハンが目を輝かせる。「食べてみたい」
「明日作る?」スマートフォンでレシピを調べる。「あ、でもそっか。パンだから発酵させる時間がいるんだ。一次発酵と二次発酵と、焼く時間も合わせたら二時間以上かかっちゃうな。もしきみがよかったら、ぼくが午前中に準備をして焼いておくって手もあるけど」
「パラタみたいにする?」
「何?」
「えっと、チャパティを折りたたんで伸ばしたやつで、中に色々練り込んだり挟んだりもできるの。あれ、確か発酵とかいらなかった気がするんだよね」
「チャパティってあの薄いパンのことだよね」インドに来て三日目にショッピングモールで食べた。「じゃあ、明日作ろう。シナモンパラタ」
 すり鉢の中でシナモンとカルダモンとクローブを潰す。ふっと気になってラジマのフライパンに目を向ける。
「大丈夫? 焦げついてない?」
「あっ」モーハンが急いで木べらでかき混ぜる。
「もう火止めてもいいかも」
「え、コリアンダー入れる?」
「あ、そっか」仕上げにコリアンダーを散らせ、とレシピに書かれていた。「適当に切って入れてくれる? 包丁でもキッチンバサミでもいいよ」
 モーハンがフライパンの上でキッチンバサミを使ってコリアンダーを適当なサイズにカットする。「塩味は? いい感じ?」とたずねると、彼が「多分」と頭を揺らした。
「なんか、何回も味見してたらよく分かんなくなってきた」
「あるある」
 沸騰する湯の中に砕いたスパイスと茶葉を入れる。しばらく煮出したのち、牛乳を注いで弱火でくつくつさせる。モーハンが「いい匂い〜」と頬を緩める。
 完成した料理を盛るため、陶器の器を出す。モーハンが「あっ」と短い声を上げた。「そっちじゃなくて」と食器棚をごそごそやる。
「これこれ」
 彼が取り出したのはステンレス製の皿だった。皿の中が四つに区切られている。
 彼の指示に従い、一番大きなところにバスマティライスを、中ぐらいのところにラジマをよそった。残る小二つにはジーラ・アルーと漬物アチャール。仕上げにライスの上にヨーグルトをかける。
 二人で食事をリビングのローテーブルに運んだ。モーハンがソファの背もたれに体を預けて「ふぅ」と小さな息をつく。
「つかれたぁ」
「大丈夫?」
「料理って大変なんだねぇ」
 モーハンがチャイのカップに手を伸ばす。触れる直前に「あ。砂糖砂糖」と立ち上がった。ぼくはステンレスのプレートを写真におさめ、ひと足先に食事を始めかける。と、あることに気が付き席を立つ。キッチンへと向かう廊下で、シュガーポットとマドラーを持ったモーハンとすれ違う。
「ん?」
「スプーン忘れた」
「ああ」モーハンが笑う。
 スプーンを手にリビングへ戻ると、モーハンがマドラーでぼくのチャイをかき混ぜていた。
「きみのにも入れておいたよ」
「ああ」ミルクも入っていることだし砂糖はいいか、と考えていたのだが。まあいいか。「ありがとう」
 モーハンがちゃっちゃっと指で米とラジマを混ぜて口に運ぶ。
「どう?」
「おいしいよ」頭を左右に揺らし、今度は米とジーラ・アルーを口に入れる。「これもおいしい。どっちもおばあちゃんの味とは違うけど」
 そう言いながらも、彼は非常に満足そうな顔をしていた。
 チャイを飲む。「ん」と小さく目を見開く。
「これ、すっごくおばあちゃんの味に近い」
「ほんと? よかった」
 ぼくもチャイを飲んで舌の上で転がす。この味を、今日の分量と加熱時間を舌と脳に刻んでおこう。
 モーハンがふっと食事の手を止めた。ぼんやりと遠くに視線を投げる。祖父母との楽しい思い出を回想しているのかもしれない。そっとしておこう。
 ぼくが七割ほど食事を終えたところで、モーハンがぽそりと言った。
「……アンナが、さぁ」
 祖父母ではなくアンナの名が出たことにちょっと驚きながらも「うん」と答える。
「……アンナ、が。……一回だけ、ぼくにインド料理を作ってくれたことがあって」
「うん」
「だけどぼくは……一口も食べずに『いらない』って拒絶した」
 ぼくが何かをコメントする前に、モーハンが「おばあちゃんが死んだ直後だったんだよ」と口早に弁明する。
「おばあちゃんの骨をガンガーに流すために、一ヶ月ぐらい父さんとハリドワールへ行ったんだ。ハリドワールはやっぱりいいところで、ぼくはもうベンガルールになんか戻りたくなかったんだけど、そういうわけにもいかないし。しぶしぶ戻ったら、アンナがインド料理を作って待ってて」
 ちらり、とモーハンが上目でぼくを見る。ぼくは「うん」とだけ返す。まだ彼の話は終わっていない。
「ぼくは……」モーハンが目を伏せる。かすかに震える下唇を軽く噛み、つばで湿らせてから思い切ったように続ける。「ぼくは。『触らないでよ』って。『おばあちゃんのスパイスに、調理器具に、あなたなんかが触らないでよ』って。『不愉快なんだよ』って。あれからアンナは一度もインド料理を作らない」
 ぼくは返事に窮した。
「せっかく、ぼくのために大変な料理をしてくれたのにね」
 沈黙に耐えかねたかのように、モーハンが無理に笑った。
 ぼくは気の利いたアドバイスをさっとできない己に嫌気が差しながら、懸命に頭を働かせて返答を急ぐ。何を言うべきか? 何を?
「謝ったら?」
 やっとのことで放った言葉に、モーハンが目を見開いて静止した。すぐに「ぼくが?」と大きな声で聞く。
「ぼくがアンナに謝るの?」
「え、うん……」
「アンナはぼくを捨てたんだよ」
「今はその話はしていないよ。アンナさんがきみのために作ってくれた料理を一口も食べずに拒否したことを、謝れば?」
 モーハンが薄く唇を開いて眉を八の字にする。ぼくは念のために「きみを責めているわけじゃないよ」と付け足す。
「ただ、きみが後悔してるみたいだから。ずっと後悔し続けるより、パッと謝っちゃったほうが絶対に楽だよ」
「後悔っていうか、」モーハンが視線をたゆたわせる。「ぼくが謝るの?」
「強制はしないよ。ただ、ぼくの意見としては、自分の過ちを悔いて謝罪するのは、とても立派で素晴らしい行為だと思う」
 これは両親からの教えである。
 例えば、四歳のぼくが室内でボール遊びをして高価な花瓶を割ってしまったとき。
「知らない」としらばっくれようとしたぼくを、もちろん彼らは怒鳴りも殴りもしない。ただ「本当に?」とぼくの目を覗き込む。本当に、きみはそれでいいのか? と。罪の意識に耐えかねたぼくが告白と謝罪をすると、彼らはぼくの頭を優しく撫でてくれる。「ちゃんと謝れて、えらいね」と。
「別に、今どうするか決めなくてもいいよ」
 モーハンのプレートに半分以上残った、すっかり冷めた食事を見ながら言った。モーハンが浅く頷き、食事を再開する。しかしその手は止まりがちで、十四時半にメイドがやってきてようやく、びっくりしたように食事をかき込んだ。