13 それってノロケ?

「悩み相談」
「はい」
 深刻な顔で言ったぼくに、父がぴしりと姿勢を正した。時刻は二十一時。父は先ほどまでリビングでラジェシュとアンナとフィーカをしていた。
「何かあったの?」
 父がベッドに腰掛けてぼくと向かい合う。ぼくは少しためらってから、勇気を出して打ち明ける。
「……モーハンに、綺麗だねって言われた」
 父が目を見開いて固まった。五秒後にオーバーなリアクションで崩れ落ちる。
「え、大丈夫?」
「いや……」父が苦笑いをしながら髪をかき上げる。「え、何? 嫌だったの?」
「それが嫌じゃなかったんだよ」
「はぁ……」父が気の抜けた声を出す。「え? ぼく、今息子のノロケ聞かされてるの?」
「なんでそうなるの。悩み相談だって言ったじゃん」
 眉をひそめながら、ぼくは父に今日の出来事を説明した。

 二人で昼食を食べているとき、ふっと会話が途切れた。モーハンが真顔でじっとぼくを見る。なんだろうとどぎまぎしていると、彼がすっと右手のひとつを伸ばしてぼくの左手に重ねた。今やぼくたちはひとつのソファに並んで食事をとるようになっていた。
「ほんと白いよねぇ」
 モーハンが色の相違をまじまじと見比べる。
「髪もさ。地毛だよね? ルードヴィグさんと同じだし」
 ぼくは無言で頷きを返す。モーハンに手を重ねられている、という状況に動揺して声が出せない。
「綺麗だね」
 うっとりとモーハンが言った。その二秒後に「あれ」と笑う。
「赤くなっちゃった」

「ノロケじゃん」
 呆れたように父が断言した。ぼくは「違うって。悩み相談」と反論する。
「何が悩みなわけ? だって、嫌じゃなかったんでしょ?」
「嫌じゃなかったのが大問題だよ。だって、見た目についてコメントをすべきではないのに」
「すべきではない、というのはきみの考えだ。法や聖書で定められてるわけじゃない」
「だけど最近の世論的にもそうだよ」
「でもきみは嫌じゃなかったんでしょ?」
 うん、とぼくは小声で認めた。
 ちっとも嫌ではなかった。むしろ嬉しかった。もちろん『容姿を褒められたこと』が嬉しかったわけではない。『モーハンに褒められたこと』が、『モーハンに好意的な感情を持たれていたこと』が嬉しかったのだ。
「相手が嫌がることを言い続ける、というのは問題だと思うけど。お互いに嫌じゃないのなら、個人の間で話す内容は自由だし」
 父の言葉に「うん」と頷きを返す。父が困ったように笑う。
「きみはちょっと頑固すぎるね」
 うん、とぼくはうなだれた。
 分かっているのだ。自分でもよくよく分かっている。
 軽率に容姿の話をすべきではない。褒め言葉のつもりで発した一言が、相手を不快にさせてしまうかもしれないからだ。だけど今回、ぼくはまったく不快にならなかった。ならばなんの問題もないのでは?
 一体、何がぼくの邪魔をしているのか?
 これまでの経験だ。
 今まで散々容姿に言及されてきた。そのたびにぼくは相手を軽蔑してきた。初対面で容姿を褒められたらもうアウト、『この人はいい人かもな』と思っていても、容姿を褒められたらその時点で嫌いになる。
 なのになぜ、今モーハンに容姿を褒められてでれでれと鼻の下を伸ばしているのだ?
 自分のことが恥ずかしかった。長年の主義主張を相手によってころりと変えたことも恥ずかしかったし、そんな現実を受け入れられずにごちゃごちゃとごねていることも恥ずかしかった。
「なんだかなぁ。身構えて損したよ」父がわざとらしく肩をすくめる。「きみが深刻な顔をしてたから、ぼくはてっきり、」
 そこでハッとしたように静止する。
「てっきり?」
 ぼくは先を促した。父がそれを無視して別の質問を投げかける。
「モーハンからどこまで聞いた?」
「え? えっと、」ぼくは指折り数える。「かなり色々教えてもらったよ。ハリドワールのこと、朝の日課のこと、家族のこと、病気のこと、手術のこと」
「……手術のことももう聞いたか」
「うん。ぼくがインドに呼ばれたのは、彼の手術を励ますためなんだよね。なんで『不登校の彼を励ますため』なんて嘘をついたの?」
「手術はすごくデリケートな話題だから。モーハンの心の準備ができてから、彼のタイミングできみに相談をするのがベストかなって思ったんだ」
 父が股のところで手を組んだ。いつの間にかひどく真剣な表情になっている。
「きみは手術についてどう思う?」
 ぼくは困惑した。どう、とは?
「……モーハンは、手術をしたくないみたいだね?」
 意見を述べずにただモーハンの話をした。彼の手術について何かを語れるほどの考えを、ぼくは持っていない。『へえ、手術か。大変だなぁ。成功率の高い簡単な手術でよかったけれど、どうして彼は手術をしたくないのだろう。まあ高いといっても百パーセントではないし、麻酔のリスクなんかもあるからなあ』ぐらいのものだ。
「したくないって言ってた?」
 父が身を乗り出した。ぼくは戸惑いながら「え、うん……」と答える。
「しないって言ってた?」
「しないとは言ってなかった。嫌だ、とは言っていたけど」
「きみは?」鋭い目つきをぼくに向ける。「どう思う?」
「……したほうがいい、とは思うけど……」
 気圧けおされながら当たり障りのない返答をした。途端に父が食いつく。
「したほうがいいと思う?」
「え、うん……」父の迫力にうろたえる。「……だって簡単な手術なんでしょ?」
 ほんの一瞬、父が目を見開いた。直後にやや落ち着いたトーンで「なんの手術?」とたずねる。
「え?」
「モーハンは、なんの手術をするの?」
「え、知らないの?」ぼくは眉根を寄せる。父が知らないはずはない、と思うのだが。「心臓の壁に開いた穴を塞ぐ手術でしょ?」
 数秒、変な間があった。
 じわりと父が微笑を作る。
「うん。そうだね」
「え、何。知らなかったの?」
「いや、知っていたけど」
「だよね?」ぼくは眉間の皺を深くする。「え、なんか今変じゃなかった?」
「そう?」父が空とぼける。
「絶対変だったよ。え? ぼく、手術の内容を間違えて覚えてる?」
「いや。合っているよ」
 父が落ち着き払って答えた。ぼくは真偽を確かめるために彼の目を覗き込む。三分後にやめた。なぜだかどうしても、彼が嘘をついているようには思えなかったからだ。
 違和感は無論残っていた。
 手術の内容が正しいのであれば、先ほどの父の緊迫した態度は明らかにおかしい。やはり本当は違うのでは? しかしあんなに鷹揚おうように「合っているよ」と言い切られてしまっては、成すすべがない。
 父がベッドを立って寝支度を始める。ぼくはもやもやとした気持ちを抱えたままそれを眺めていたが、やがて諦めてシーツに潜り込んだ。