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 六度目のDen of FREAKSの出演日。
「ご、ご、ご機嫌ですね」
 もじもじと言った門番のデゴスに「ちょっとね!」と笑顔を返したリオは、ほとんど駆け足で見世物の檻の並ぶ通路を進んだ。
 初日はあんなに興味深く眺めた檻なのに、もはやなんの興味も湧かない。同じ料金で、パール一人がいる見世物小屋と、それ以外の全てが並ぶ見世物小屋を選べと言われたら、迷わず前者に行く。仮に前者の料金が後者の数倍だとしても、絶対にパールのいる方だ。
 このままパールの部屋に飛び込んで、そして、そして……。
 リオはぱったりと足を止めた。
 扉のない六つの部屋と扉のある六つの部屋を区切る鉄格子の扉の向こう側に、場違いなものを発見したからだ。
 向こうにいるそれも、驚いた表情でリオを見ている。先に口を利いたのは向こうの方だった。
「リオ・アンダーソン!」
 がしゃ、と見知らぬ少年が鉄格子に飛び付く。見張りの男の一人が少年の首根っこを掴み、もう一人が鉄格子の錠を開けた。少年がわあわあと騒ぐ。リオとイーサンが通るのを待って、錠がかけられ、少年が解放される。
「ファンです!」
 リオと同い年ぐらいの少年は、顔を輝かせながら握手を求めてくる。リオはそれに応じながら「ごめん、急いでいるんだけど」と言った。
「もう出番ですか。僕も舞台袖から覗いていていいのかなぁ」
「出番はまだ少し先だよ。ちょっと用事があって」
「なんの用事ですか」
 なんでもいいだろ、うるさいな。そう吐き捨てたいのをこらえながら、営業用のスマイルを作る。
「ここに友達がいるから」
 パールの部屋を指で示す。途端に少年が顔をしかめた。
「その部屋、変な生き物がいますよ」
「パールは変じゃないよ」
「変ですよ。あんな辛気くさい聾唖といるより、僕としゃべるほうがいいんじゃないかな。僕、あなたの舞台をたくさん見ましたよ。最近はちょっと行けていないけれど、二年前の……」
「うるさいな!」
 リオはつい怒号を発した。パールを侮辱されたのが許せなかったのだ。少年が息を呑み、すぐにあざけるような表情を浮かべる。
「幻滅した。みんなに言いふらしてやりますよ。リオ・アンダーソンは見世物にお熱だってね」
「言えばいいだろ」リオはずかずかとパールの部屋に向かう。イーサンを振り返って命じた。「そいつが入ってこないように取り押さえておいて」
 はい、とイーサンが冷淡に頷く。少年はごちゃごちゃとわめき散らしていたが、リオは構わずパールの部屋の扉を閉める。厚い扉に隔てられ、たちまち声が遠くなる。
「やあ、パール。外に変なのがいたね」パールのそばに歩み寄り、ベッドの縁に腰かける。「あれもゲストなの? あんなやつ見たことないけど。どこかの界隈では有名なのかな」
「声がここまで聞こえていたよ」
 パールがくすくすと笑った。リオは唇を尖らせる。
「あいつ、僕らのことをみんなに言いふらすと言っていたよ。別に言えばいいんだ」
「まあ、でもその心配はないよ。あれはゲストじゃないから、もう外に出ることはないからね」
「どういうこと?」
 リオは目をまたたかせた。
 ゲストではないということは、見世物だということか。いや、あの少年はどこからどう見ても普通の人間だった。
 ゲストでも、見世物でもなく、見張りの男たちの下っぱとも思えない。マイクの身内が遊びにきているのだろうか? その場合、あの少年は無論自由に外を出歩けるわけで、もう外に出ることはない、というパールの主張が成り立たない。
 首をひねるリオに、パールが言った。
「今晩か、明日か、舞台で殺すんだ」
 耳を疑った。パールはなんでもない顔をしている。リオの沈黙に、パールが「あれ」と首をかしげる。
「リオ?」
「殺すってどうして」
 声がかすれた。パールは「あれ……」と今度は微笑を浮かべる。
「言わないほうがよかったかな」
「どうして殺すの?」
 重ねて問うと、パールが淡々と説明を始める。
「どうしても何も、そういう見世物っていうだけだよ。メインが終わって、一般のお客さんを外に出してから、たくさんお金を払っている人だけが見られるらしいんだ。作り物の剣を持たせて、本物の剣を持った達人と戦わせるんだって」
「あの子は罪人なの?」
 リオは少年の姿を思い出す。生意気なやつだったが、極悪人には見えなかった。
「違うと思うよ。拾われたか、売られているのを買われたか、どちらかだろうね」
「どうして君はそのことを知っているの?」
「いつだったか、マイクが教えてくれたんだ。この催しはときどきあるからね。結構人気みたいだよ。そんなことよりさ」ちろり、とパールが舌なめずりをする。「今日はセックスをする日だったよね」
 うん、とリオは答える。
 聞きたいことはまだまだたくさんあった。
 どうしてマイクはそんなに悪趣味なことをするの? 罪もない子供を舞台でいたぶって殺す見世物が、どうして人気なの? 君はなぜそんなに非道な大事件を、なんでもない些末なことのように語れるの? 僕と君が初めて会ったあの日、君は、僕をその見世物に使われる子供だと思っていた?
 屈んでパールにキスをする。
 現実逃避の、キスだった。

 リオはもう、パールの前で裸になることになんの気遅れもなかった。
 パールと肌を合わせ、舌を絡めていると、先ほどの少年のことはみるみる思考の外へと飛んでいく。我ながら薄情だなと思う。そのことすら、すぐにどうでもよくなっていく。
「ん……、ふぅ……」
 リオは唇の隙間から呻きを漏らす。陰茎は腹にぴったりとくっつくほど勃起していた。先端からぬるぬるの溢れるそれを、無意識にパールの腹に擦り付ける。どくんどくんどくん、と心臓と陰茎が激しく脈打って、頭がくらくらしてくる。
「どこに入れるか分かる?」
 唇を離して、至近距離のままパールが聞いた。全身を重ねて唇を貪りあっていると、リオはそれだけで満たされた気持ちになった。しかし、パールの口から「入れる」という単語を聞いた瞬間、みるみる欲が湧いてくる。入れたい。僕のちんちんをパールの中に入れて、ひとつになりたい。
「分からない……」
 正直に言った。彼の前で格好つけていても仕方がない。もう、恥ずかしいところはたくさん見られているのだ。
 ぐっとパールの膝がリオの腹を押した。リオが脇に避けると、パールは膝を自身の胸元まで引き寄せる。
「見えるかな」
「どこ……?」
 そう言いながらも、リオはすでにその穴を見つけていた。ただ、もっと間近で見たくてとぼけた。
「お尻のところ。顔を近付けてみて」
 パールは期待通りの言葉をリオにかけてくれた。あるいは、彼はリオの下心などすべてお見通しなのかもしれない。リオは「うん……」とそこに顔を近付けていく。
 パールの青い下半身の中に、一点、小さな薔薇色の穴がある。リオはそこに鼻の触れるほど顔を寄せる。
「見つけた?」
 穴にかかる鼻息がくすぐったかったのだろう、パールが笑みを含んだ声で聞いた。彼が身じろぐと、穴はくぱっくぱっと呼吸をするようにうごめいた。穴の縁は少し盛り上がった輪っかになっていて、それが小さく閉じたり、開いたりして、ちらちらと体内への道のりが覗くのだ。まるでリオに、早く入っておいで、と誘いかけているかのようだった。
「うん……」
「そのまま入れてもいいけど、ちょっと濡らしたほうがスムーズかな。チェストの引き出しのどこかに、油の入った瓶があるはずだから……」
「舐めて濡らしてもいい?」
 リオは舌なめずりをした。「えっ?」とパールが驚きの声を上げる。
「もちろんいいけど、君はいいの?」
「何が?」
「肛門だよ。一応洗ってはあるけど」
「肛門?」リオは目をぱちぱちさせる。「エッチする穴じゃないんだ」
「まあ、俺のはもうそんなようなものだけど。男だから兼用するしかないんだ」
 リオはまじまじとパールの穴を、肛門を見る。ふと疑問が湧いた。
「人魚ってウンチするの?」
 リオの率直な問いにパールが噴き出した。
「するよ」笑いながら言う。「生き物だからね。ご飯を食べたら、そりゃするよ」
「するんだ」
「うん。だから、嫌だったら舐めなくてもいいよ」
 リオはちょっと悩んだ。
 排便をする穴だと思うと、口を付けるのはやはりためらわれる。だけど、パールは先ほど洗ったと言っていた。それに、パールに射精をさせてもらったあの日、彼はリオの肛門を舐めてくれた。それなら今度は僕が舐めてあげる番では……。などと、そこまで考えて、リオは自身に呆れ笑いを浮かべた。
 それらしいことを並べ立ててはいるけれど、結局、自分が今、パールの薔薇色の穴にむしゃぶりつきたいだけだ。
 ちゅ、とパールの肛門にキスを落とした。ぴくっとパールの腰が動く。ちゅ、ちゅ、と何度かキスをしてから、思いきってぺとりと舌を当ててみる。一度舐めればわずかな抵抗も消え失せて、ぺちゃ、ぺちゃ、ぺちゃ、と執拗に舐め回す。
「舌、入れてみて」
 パールが言った。
「入るの?」
「入るよ。舌、尖らせるみたいにして」
 言われた通りにする。にゅる、とパールの肛門は一切の抵抗なくリオの舌を受け入れた。舌先になんともいえない味が広がる。おいしい、わけではない。だけど、嫌な味でも全然なかった。
 夢中で彼の腸内を舐め回す。気のせいかもしれないが、リオの唾液とは違うぬらぬらがパールの中から滲み出ている気がする。舐めても舐めても、いや、舐めれば舐めるほど、そのぬらぬらは溢れてくるようだ。
「リオ」
「ん、」
「入れたい?」
 陰茎を、という意味だろう。
「入れたい」
 顔を上げて即答した。「いいよ」とパールが微笑む。
「ちんちん持って、俺の穴に先っぽ当てて」
「こう?」
「そう。それで、そのままぐーって腰を押し付けて」
 ぬぬ、と見る間にリオの陰茎がパールの熱い肛門へと飲み込まれていく。ほやほやのひだが陰茎にねっとりとまとわりつく感触に、リオは「はぁあ……」と身震いして腰を止めた。
「入った?」
「まだ。もう半分……」
「全部入れていいよ」
「ちょっと待って……」リオはぶるぶるっとこうべを振る。「ちょっとずつしないと、おかしくなりそう……」
「おかしくなろうよ」
 にんまりと、パールが笑った。
 ほんの刹那、リオは葛藤する。次の瞬間にはもう、たがが外れてパールの中に陰茎を突き込んでいた。
「ふぅぅぅっ」
 リオの背筋を熱いものと冷たいものが同時に駆け上がる。
 パールに教えを乞う必要はもはやなかった。リオは本能的に腰を前後させる。
「うぅっ、ふ、うっ」
 びゅ、びゅ、とリオは射精した。たった二回腰を打ち付けただけなのに。
 不思議なことに、射精をしたのにリオの陰茎は固いままだった。そっとパールの表情をうかがう。彼は嬉しそうににこにこしている。終わったのなら抜きなよ、などとたしなめる様子はない。リオが射精をしたことに気が付いていないのかもしれない。
 まだ終わりたくない。
 もっとしたい。
 リオは再び腰を動かし始める。
 パールの内部はふんわりとリオを包み込むのに、入り口はきゅうっとすぼまっている。そのため、腰を動かすごとに、パールの入り口で陰茎を強くしごかれているような感覚になる。
「ふぅっ、うっ、はぁ、んっ、んううっ」
 夢中で腰を振り続ける。
 結局、リオは全部で三度も射精をした。
 さすがにもうどう頑張っても勃ちようのない陰茎をパールの中から抜く。ごぽり、と黄味がかった白濁がぽっかりと開いた穴から溢れる。とろとろととめどなく流れてくるそれを目で追うことはせずに、ぐったりとベッドに突っ伏した。全力疾走をしたあとのように呼吸が荒い。
「大丈夫?」
 パールが笑う。リオは「うん……」と呻くように答える。普段使わない筋肉を使ったせいだろうか、腰のあたりを筋肉痛に似た重い気怠さが覆っている。
「これ、手品できるかな……」
「立てる?」
「うーん……」
 リオは唸りながらパールの髪に手を伸ばす。油に濡れた彼の髪を指ですく。「ん?」と首をかしげたパールに「ううん……」とだけ答える。意味などないのだ。ただ彼に触っていたいだけで。
「時間は? 大丈夫?」
「ああ……」
 パールに聞かれて、リオはチェストの上に積んだ着替えのてっぺんの懐中時計を確認した。あと四分ほどで、舞台袖への移動を始めなければならない。
「急がなきゃ……」
 口ではそう言いながらも、リオはこのまままどろんでしまいたかった。パールがくすくすと笑い出す。
「がんばって」
 パールにそう言われるなり、リオは勢いよく体を起こした。我ながら現金なものだ。重たい体に鞭を打って立ち上がり、チェストの二段目からタオルを取り出すと立水栓へと急ぐ。
 そうだ。頑張らなくてはいけない。手品をして、稼いで、これからもずっとパールに会いに通うのだ。
 驚異的なスピードで身支度を終えたリオは、「そういえば」とチェストの上に置いたタオルを持ち直す。
「これ、どうしておいたらいいの?」
「どれ?」
「タオル」
 前回使ったときは、急いでいたためチェストの上に湿ったまま放置していってしまった。パールは「ああ」と気のない声を出す。
「そのへんに置いておいて」
「濡れたままだけど」
「いいよ。掃除の人が回収するし」
 そうなのか、とリオはチェストの上に濡れたタオルを置き直す。
「また来るよ」
 リオがいつもの挨拶をすると、パールも「またね」といつもの返事をしてくれる。
 扉に向かいかけたリオは、不意に踵を返した。ベッドまで戻り、屈んでパールにキスをする。パールがちょっと目を見開いて、すぐに笑う。
「がんばって」
「うん」
 足も腰も、依然として重たい。それでも、キスとパールのその言葉だけで、大技のマジックだっていくつも難なくやり遂げられそうなほどに元気が湧いてくる。
 扉を開けると、今にもノックをしようという姿勢のイーサンと出くわした。イーサンは静かに手を下ろす。
「さっきの子は?」
 リオはイーサンからボストンバッグを受け取りながら、辺りを見回す。
「あちらに」
 イーサンが視線を斜め後ろに向けた。
 イーサンに説教をされたのか、はたまた攻防を繰り返して疲弊したのか、少年は少し離れたところにふてくされた表情で座り込んでいた。
 今から見世物になる少年が、なんの拘束具もなしにゲストの空間で自由にさせてもらえているのはなぜだろう。
 マイクの最後の慈悲なのか。
 それとも——。
 さらわれるか、買われるかしてここに連れてこられた少年は、大層怯えていたことだろう。檻の中の奇怪な生き物が並ぶ長い通路を歩きながら、震え上がっていたに違いない。
 なんだここは。僕はこれからどうなってしまうのだ。
 しかし、少年の不安をよそに、マイクは奇怪な生き物たちとは鉄格子で隔てられた空間に少年を放す。ここで自由にしていなさい、と言う。
 少年はまず当惑して、次に目を輝かせただろう。
 なんだか知らないけれど助かった。きっとマイクは僕を優秀だと判断したのだ。だから、僕はこの特別な空間まで連れてきてもらえたのだ、と。
 やがて舞台に上げられ、本物の剣を持った達人と作り物の剣で対峙させられた少年は、大いに絶望するはずだ。
 仮に長い絶望と恐怖が続いたあとで同じ場面に立たされたのなら、すでに精魂尽き果てた少年はただちに試合を放棄し、やすやすと殺されてしまうに違いない。
 高い金を払った観客を満足させるには、きっとそれではいけないのだ。一度助かったと思い込んで束の間いきいきと過ごし、再び絶望の淵に立たされた少年が、死に物狂いで抵抗を試みながらも殺されていくさまを、観客は望んでいるのだ。
「なんだよ」少年がリオを睨む。「なんでそんな目で見るんだ」
「別に」
 リオはふいっと顔を逸らした。舞台に向かうには、少年の脇を通らなければならない。リオは顔を背けたまま、ぎこちなく歩を進める。
 よっぽど、この場で少年に簡単な手品を披露してやろうかと思った。手品で使ったトランプを、一枚彼にプレゼントしてやろうかと思った。
 ただの偽善だ。
 それに、直前までが楽しければ楽しいほど、死の舞台に立たされたときの絶望は深くなるのだということを考えると、そんな残酷な真似はとてもできなかった。
 なんの罪もない子供を舞台で殺す、ということが、ただのパールの覚え違いであればいい。
 あるいは、かつてはそんなこともあったのかもしれないが、この少年はその対象ではなく、ただの掃除夫見習いとして買われたのであればいい。
 リオは胸中で祈る。
 実際はどうだか知らない。ただ、この少年を見たのは、この日が最初で最後だったことだけは真実だ。