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20

 温泉では、頭と体と顔を三度ずつ洗った。もちろん歯も念入りに磨いた。
 湯船に浸かるため、北野はサウナから出てきた砂日を呼び止める。
「ん?」
「湯船に浸かりたいんだけど、ちょっと手伝ってもらっていい?」
「何を?」
「車椅子から降りるのをだよ」
 北野の義足は完全防水ではない。雨で濡れるぐらいならばすぐに拭けば問題ないが、ゆっくりと湯船、それも真水ではなく温泉水に浸かるのはまずい。
 そのため、脱衣所で義足を外し、レンタルしたシャワーキャリーに乗って浴室に入った。洗い場では、バスチェアの高さに合わせてやや低いところに置かれたボトルや洗面桶に苦戦したが、なんとかシャワーキャリーに乗ったままことなきを得た。
 問題は入浴だ。
 この温泉は他の多数の温泉と同じく、シャワーキャリーに乗ったままの入浴はできない。浴槽にはそれぞれステンレスグリップが設置されているが、一本ずつだ。両手で持てる幅で二本が設置されているならまだしも、両腿から下がない北野が、一本のステンレスグリップだけを頼りに一人でシャワーキャリーから浴槽に移るのはリスキーすぎる。
 そもそも、ここでレンタルできるシャワーキャリーは自走式ではなく介助式だ。誰かに押してもらわなければ、洗い場から浴槽のそばに移動することすらできない。
「砂日」
「何」
「悪いんだけど、車椅子を押してくれない? これ、自分で漕げないやつだから」
 このお願いは、脱衣所から洗い場に移動する際にもした。一人さっさと浴室内を横切りかけていた砂日は、言われてようやく思い出したらしく「ああ……はいはい」と面倒くさそうに北野の後ろに回った。
「どこ?」
「内風呂がいいな」
「はいはい」
 隅にジェットが設置された内風呂、水風呂、サウナ、そして外に露天風呂と二つの壺湯があった。露天風呂と壺湯にも心惹かれたが、屋根のない湯船には夏の日差しがさんさんと降りそそぎ、ただでさえ日焼けであちらこちらが痛む北野には入浴がためらわれた。
 砂日は内風呂のそばまでシャワーキャリーを押すと、「じゃあ、俺露天行ってくるわ」と手を離した。「待って待って」と北野は慌てる。車椅子から降りるのを手伝ってくれ、とつい先ほど頼んだばかりなのに、こいつはもう忘れたのか。
「何?」
「今さ、俺、一人で車椅子から湯船に移れないから、抱き上げて移してほしい」
「俺が?」
「きみがだよ。お願い」
 嫌そうに口角を下げた砂日に、北野は他に誰がいるんだよと呆れ笑いを浮かべながら手を合わせる。砂日は渋々ながらも、慣れない手つきで北野を抱き上げてくれた。彼の前腕は両方あるが、手は右手しかないため、落ちそうになって彼の首と背中に腕を回す。
「なんかキモ〜」
 友達と裸の肌が密着する感覚が奇妙だったのだろう、砂日がこそばゆそうに笑いだす。「ごめんって。我慢してよ」と北野も笑う。湯船のふちに下ろされ、「ありがとう」と礼を言う。
「じゃ」
「あ、俺、出るときも一人で出れないからね。悪いんだけど、もし先に上がるんなら一声かけてくれない? 俺も一緒に上がるから」
「うーい」
 まったく信用ならない返事をしながら、砂日は露天風呂へと向かった。彼が露天風呂から上がる頃には、北野の要求など完全に忘れているだろう。露天の出入り口、あるいは浴室の出入り口を注意して見ておかないといけないな、と気を引き締める。
 ステンレスグリップをつかみ、湯船の階段を下りる。ずりずりとジェットのところまで移動し、泡の出口に背中を向けてもたれかかる。全身の筋肉がこりほぐされる心地よさに、覚えず目をつむる。
 どこか甘えるような心地で気安く砂日に頼りながら、考えてみれば、同年代の友達に介助をされるのは初めてだな、ということに気が付いた。
 できることは自分でやろう、という方針で育てられたことも一因だろう。義足で歩けるようになって、介助を必要とする場面がそもそも激減したことも一因だろう。車椅子に乗っていた小学校一・二年生までは、しばしば力を要する介助を、非力な同年代の友達には頼めなかったことも一因だろう。
 なぜ友達に介助をされた経験がないのか、なんて今までろくに考えたこともなかった。しかし考えを進めていくと、小学校三年生のときのエピソードが矢庭に想起された。
 そのエピソードは、長らく記憶の片隅で埃をかぶって眠っていた。
 ところがひとたび掘り起こせば、友達どころか、教師をはじめとした大人、いつしか両親にすら気軽に介助を頼めなくなっていたのは、それが要因のように思われた。

 小学三年生の四月のことだ。
 当時、北野は自走式の車椅子を愛用していた。車椅子には物心つく前から慣れ親しんでおり、操作は得意だった。小学校は家から近く、車椅子を漕いでいっても十分とかからない。そのため、親の送迎ではなくみんなと集団登下校をしていた。三年生に上がり、友達と(都合がつかなければ一人で)の登下校を始めたのもみんなと同じだ。
 北野の通う小学校には、エレベーターや車椅子用のリフトは設置されていなかった。教室は、一・二年生が一階、三・四年生が二階、五・六年生が三階と割り振られていた。
 学校の一階には多目的トイレがあり、行こうと思えば一人でもトイレに行けた。しかし、どうしたって車椅子と便座の移乗、手すりにつかまりながらの衣類の着脱には時間がかかる。そのため、授業の合間の十分休みにトイレに行く際などは担任に介助をしてもらうことが多かった。
 教室が一階にあった一・二年生の頃。
 昇降口には階段の隣にスロープが設置されており、教室までの移動は一人でできた。二階の図工室や三階の音楽室に移動する際は、入学して間もなくは教師が四人がかり、三週間後からは二人がかりで車椅子を運んでくれた。さらにしばらく経つと、車椅子を一階に置いて、担任が一人でおぶって運んでくれるようになった。今思えば単に人手を減らすためにそうなったのだろうが、おぶって運んでもらえるのはかえって楽しく、好きだった。
 三年生に進級して、他のクラスは二階に移動したが、北野たちのクラスは一階のままだった。そうしょっちゅう、登下校やトイレのたびに北野をおぶってはいられない、という判断が教師たちの間でなされたのだろう。
 北野は別になんとも思わず呑気に日々を過ごしていた。教師やクラスメイトは優しく、学校は楽しかった。
 ある日のこと。三年生になって、二週間ほどが経った頃だっただろうか。帰宅するために廊下を進んでいると、下駄箱から二人のクラスメイトの話す声が聞こえてきた。
「星くんのせいで、俺らだけ低学年の階のままなんだよなぁ」
「しょうがないよ。車椅子で階段の上り下りをするのは大変なんだから」
「休み時間もさぁ、ドッジやケイドロするとき星くんが入ってくるけど、場所取るし、トロいし、障害者だから攻撃しづらいし、ぶっちゃけ邪魔だよ」
「ダメだよ。そういうこと言ったら先生に叱られるって。障害を持った人には優しくしようって、道徳の授業で習ったじゃん」
「まあ、あんな体でかわいそうだから、優しくしろってのも分かるけど。でも、俺らのクラスだけあんなのがいて不公平だよなぁ」
 北野は思わず車椅子を漕ぐ手を止め、二人の会話に聞き入っていた。二人は、今日の夕方放映されるアニメの話題に移行しながらグラウンドに消えた。
 顔から火が出そうだった。
 俺はずっとみんなに迷惑をかけていたのだ。悪いことをした。ちっとも気が付かなかった。
 気が付かなかったのは、みんなが気をつかってくれていたからだ。気をつかってくれていたのは、俺が障害者で、そうしないと先生に叱られるからだ。
 その日、夕飯を囲みながら両親に言った。
「あのさ。俺、義足を使ってみたいんだけど」
 北野が突然そんなことを言い出したものだから、楽天的な父は「おお、いいんじゃない」と面白そうに賛成したが、母は「どうしたの?」と心配した。
「いきなりそんなことを言い出して……。誰かに何か言われたの?」
「誰にもなんにも言われてないよ。ただ、義足で歩いたり、走ったり、階段を上ったりできるようになったらいいなぁって、ちょっと思いついただけ」
 その週末に、両親に連れられてリハビリテーション施設に行った。義足についての説明を受けて、大腿の採型をしてもらった。一週間後に仮合わせをして、さらに一週間後にとりあえずの義足ができあがった。
 義足での歩行訓練は、決して簡単なものではなかった。それでも北野はただの一度も弱音を吐かなかったし、諦めなかった。
 スタート地点、平行棒を持って歩く訓練を始めた当初が一番辛かった。
 口にこそ出さなかったものの、なんだよこれ、と心の中で何度も叫んだ。なんだよこれ! 滅茶苦茶じゃんか。いや、世の中には義足で歩いている人がたくさんいるのだから俺にもできるはずだ、と半ばヤケになりながらもがむしゃらに訓練に励んだ。
 やがてコツをつかみ出し、歩くという生まれて初めての感覚が面白くなり始めた。外を歩く練習を始める頃には、すっかり歩くことに夢中になっていた。
 それまでの北野にとって、移動とは手だった。
 幼き日のずり這いを、他の子がよちよち歩きを始める一歳になってもまだ続けていた。そして、二歳ごろだったと思うのだが、キッズスペースかどこかで遊んでいるときに「あれ?」と思ったのだ。あれ? 俺みたいにうつ伏せで床を這っているのは、赤ちゃんだけだぞ。
 とはいえ他の同年代の子供たちのように歩くことはできず、かといって気付いてしまった以上赤ちゃんのようにずり這いを続けることも恥ずかしく、「体の両側に手をつき、尻を引きずるか、手で支えて体を浮かせるかして移動する」という移動手段を身につけた。
 もうしばらくして、大人に押されるばかりだった車椅子を自分で漕げるようになり、さらには小学二年生のときに既存の車椅子を電動化する電動ユニットを買い与えられた。ハンドリムを漕ぐにしろ、ジョイスティックを操作するにしろ、移動に使うのは依然として『手』だ。
 足を前に振り出すことで移動する。へんてこで愉快で、熱中した。
 階段の上り下りの練習もした。まずは手すりを持って一段ずつ昇降ができるようになり、次に交互の足でできるようになり、やがて手すりを持たずともできるようになった。
 四年生から、北野のクラスの教室は二階になった。五・六年生ではもちろん三階になった。
 体育の時間はスポーツ用の義足を使ったが(さまざまな競技はともかく、走るだけなら学年で上位だった)、ちょっとした早歩きなら通常の義足でもできるようになった。義足で自転車に乗れるようにもなった。
 この頃には、いや、きっともっと早い段階から、義足で歩けるようになろうと決心したあの日のことは、記憶の隅っこに追いやられていた。
 小学六年生になる頃には、クラスの誰も、北野を『障害者』として扱っていなかったように思う。
 雨の日や雪の日、強風の日など、義足の北野は歩行に難儀した。それでも、努めて涼しい顔をしていたものだから、誰も気をつかってはこなかった。
 昼休みにグラウンドへ行くことは滅多になかったが、体育の授業のバスケットボールで、初めて健常者の生徒と同じようにディフェンスをされたときは、無性に嬉しかったのを今でも覚えている。

 再三になるが、小学三年生のあの日の出来事は、不思議とすぐに亡失した。
 ショッキングで忘れたい出来事だったから、無意識に記憶の引き出しの奥の奥へとしまい込んでいたのかもしれない。
 ただ、あの日芽生えた「迷惑をかけたくない」という思いは、知らず北野の中に根を張っていたようだ。

 小学生のランドセルはとても重たい。
 義足で歩くためには絶妙なバランスを要求される。
 両足が大腿義足の北野が重いランドセルを背負って立てば、たちまちバランスを失って転んでしまう。
 北野の小学校は置き勉が禁止されていたため、義足で通うにあたってキャリーケースを引くことにした。
 三年生の三学期になる頃には、手ぶらはもちろん、教科書や筆箱といったちょっとした手荷物を持った状態でも、手すりを使ってすらすらと階段の昇降ができるようになっていた。だがキャリーケースを持った状態でとなると、一段一段、持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろしと、非常に慎重に行わなければならない。
 四年生に進級して、教室が二階になった初日。
 始業式の日は授業がなかったため、すかすかのランドセルを背負って普通に階段を昇降した。
 翌日、初めてキャリーケースを手に長い階段を上るときが来た。
 北野はかなり早めに登校し、用心して階段を上った。その日の下校時、キャリーケースを持って階段を下りているところを担任に目撃され「階段では、危ないから先生が運んであげる」とひょいと持ち上げられた。
「登校のときは気が付かないかもしれないから、職員室に声をかけにきてね。もし先生がいなくても、他の先生に頼めばやってもらえるよう、ちゃんと先生から伝えておくから」
 できることはなるべく自分でやろう。できないことは自分からお願いして、やってもらったらお礼を言おう。
 北野は両親にそう育てられた。いい教育方針だと思う。
 以前の北野ならば、両親の教えに従い、毎朝元気に職員室の扉を叩いただろう。しかし『小学三年生のあの日』を経た北野は、それができなくなっていた。
 翌朝も、北野は早くに登校した。職員室には向かわず、一段一段、自分でキャリーケースを持って階段を上がった。
 朝のホームルームの前、担任が北野を見つけて不思議そうに聞いた。
「北野くん、今朝は他の先生に運んでもらったの?」
 北野は曖昧に濁した。その日の下校時、担任が北野の重たいキャリーケースを運んでくれるのを見て、ありがたいながらも奇妙にそわそわと落ち着かなかった。
 その翌朝。
 やはり早くに登校し、キャリーケースを手に一人で階段を上っていると、後ろから担任に声をかけられた。
「北野くん! 危ないから先生が手伝うって言ったじゃないか」
 北野は狼狽しながらも、こう弁解した。
「僕、一人で階段を昇り降りできるのが嬉しくて。下校するときも、先生に手伝ってもらわなくても大丈夫です。こういうことを一人でできるようになったのが嬉しいんです」
 半分本当で、半分嘘だった。
 階段の昇り降り自体は面白くて好きだ。しかしキャリーケースを持った状態でとなると、危険で大変で時間もかかるため、誰かに手伝ってもらえるならば大いに助かる。
 せっかく担任が「手伝う」と言ってくれているのだ。それに甘えればいいだけなのに、俺は一体何をしているのだ?
 北野は自分で自分の行動を理解できず、戸惑った。同学年の子で、教師にわけの分からない反抗をし始めた子が何人かいたため、俺もそういう時期なのだろうか、などと漠然と思った。
 担任は「危ないのに」とぶつぶつ言っていたが、北野の意志を尊重してか、それ以降はキャリーケースを手にのろのろと階段を昇降する北野を見ても口を出さなくなった。
 翌週の月曜日から、北野の小学校は置き勉をしても良いことになった。
 世間の流れがそうだった、と言われればそれまでだ。
 しかし、新学期からではなく、このタイミングで、となると、北野のためにそう決まったかのようでなんだか居心地が悪かった。ただしその感情は、置き勉が許可されたことを喜ぶクラスメイト達を見ているとすぐに薄れた。

 中学一年生。渡辺に階段から落とされ、一ヶ月半ほど車椅子で生活していたときのことだ。
 北野の家には小学生のときの電動車椅子(自走式の車椅子に電動化ユニットを装着したもの)が眠っていたが、両親はそれを使おうとは言わずに、別の自走式の車椅子をレンタルしてくれた。家にあった電動車椅子はジュニア用で、少し小さく、フレームも鮮やかなイエローだったためだろう。両親に内緒で電動車椅子を改造していた北野は、ひそかに胸を撫でおろした。
 車椅子生活中、学校と塾にこそ変わらず通ったが、それ以外の外出はほとんどしなかった。
 昔はなんとも思っていなかったが、一度義足を経験してしまうと、車椅子はあまりにも不便すぎる。
 バリアフリー化が進み、多くの施設にスロープやリフト、エレベーターが設置されたとはいえ、世の中にはまだまだたくさんの段差がある。
 十何段もの階段がそびえ立つ場所なら諦めもつくが、何気なく、街の至るところにある一段から三段ほどの段差にじわじわとフラストレーションが溜まった。義足ならばわけなく通過できるのに、車椅子でとなると、しょっちゅう誰かの手を借りる必要が出てくるのだ。
 バスや電車に乗る際、駅員や運転手にいちいちスロープを出してもらうのも申し訳なかった。バスなど、急なスロープだからと運転手が車椅子を押してくれるのが、ありがたいながらも非常に辛かった。
 もうひとつ困ったのがトイレだ。
 多目的トイレは多くの施設にある。とてもありがたい。ところが規格が統一されていないため、手すりの取り付け位置によっては、一人で車椅子と便座の移乗ができないのだ。
 中学校の最寄駅のトイレと、家の近所の大きなショッピングモールのトイレがそれで愕然とした。義足で生活しているときにはまったく気が付かなかった。健脚が一本でもあれば問題ないのだけれど、というトイレは、案外世の中に多いのかもしれない(余談だが、小学校の多目的トイレには、少し離れた壁に設置された古びた手すりとは別に、便器に後付けするタイプのいやに真新しい手すりが設置されていた。もしかすると、あれは北野が一人でトイレに行けるようにと、母親が学校に要請してくれたものだったのかもしれない)。
 二度ともなんとか尿意を我慢できたからよかったものの、もしも我慢できない状況でそんなトイレにあたったら?
 なんだか、もう、映画館も、博物館も、交流会も、シンポジウムも、ボランティアすらも、どこにも行きたくなくなった。
 だって、思わぬところに越えられない段差があったらどうしよう。だって、切羽詰まった状態のときに一人で移乗できないトイレにあたったらどうしよう。
 駅員や店員、周囲の人に介助を頼めばいいだけだ、とは到底思えなかった。
 もちろん、北野は自分以外の障害者が介助されている姿を見てもなんとも思わなかった。しかし自分がされるとなると、不思議と胸が苦しくなってしまうのだ。
 幼い頃は、必要とあらば見知らぬ人にだって気安く介助をお願いできていたのに。
 俺はどうしてしまったのだ?
 車椅子を漕いでいた幼い頃は、介助が日常的だったためこだわりなく頼めた。しかし介助のいらない義足生活を送るうち、介助を頼むことが非日常になって、変に気にしてしまい、それでこうなってしまったのではないか?
 そうかもしれない。ただそれだけにしては——何かが変だ。

 長年のもやもやの原因が、今日晴れた。
 そう。そうだ。あの日だ。あの日、俺は知らない間にみんなに迷惑をかけ続けていたことがショックで——。
 みんなに迷惑をかけ続けていたことがショックで?
 いや、まだ違う。よく考えろ。
 もしかするとあの日の俺は、「障害者だから」とのけものにされたことが、非常に悲しく、辛かったのではないか?
 クラスメイトの彼らは、俺の話をしながら、まるで二人ぎりで話をしていた。「迷惑をかけられているのだから、いつかは直接星くんに文句を言ってやろう」などという気概は微塵も感じられなかった。なぜなら彼らにとって「星くんはかわいそうな障害者で、優しくしてやらなければならない存在」だからだ。対等に話をするような対象ではないのだ。俺は、それがとても嫌だったのではないか?
 もしもあのとき、彼らを追いかけて「低学年の教室のままなのはごめん。休み時間に邪魔なのは悪かったよ。だけど、邪魔なら邪魔って言ってくれればよかったのに。きみたちがニコニコ仲間に入れてくれていたから、ちっとも気が付かなかったよ。あと俺、別にかわいそうじゃない。できないことはそりゃあるから、お願いしたらなるべく手伝ってほしいけど、普段はなんにも気にせず普通に接してほしい。特別優しくなんてしなくていい。きみにもできないことはあるでしょ? 俺は勉強が好きで手先が器用な方だから、俺に手伝えることがあったらなんでも言ってよ」なんて——こんなにすらすらとではなく、つっかえつっかえでも——言える人間だったなら、今でも楽しく車椅子を漕ぎ続けていたのかもしれない。
 だけどあの日の北野は、『黙って義足のリハビリテーションを始める』という道を選択した。
 根本の欲求は『みんなに対等に扱われたい』だ。しかしそれを口にはせず、一人黙々と義足で歩く練習に励んだ。やがてほとんど健常者のように歩けるようになり、北野の願いは結果的に叶った。
 だが、それではいけなかったのだ。ありのままでみんなと対等になれるよう、やはり言葉を尽くすべきだったのだ。
 使える道具が増えるのは悪いことじゃない。義足で歩けるようになったのはいいことだ。
 ところがその過程で、北野は誰にも頼れなくなってしまった。『普通に歩ける健常者』を取りつくろってみんなと対等になってしまったばっかりに、『障害者』である部分を見せて頼れば、また「障害者の北野はやっぱり憐れむべき存在だ」との烙印を押されてしまうような気がして、怖かった。
 一線を引かれたくない。
 無自覚ではあったが、北野はずっとそんな恐怖を胸に生きてきたのだ。
 自分で自分の首を絞めて、馬鹿みたいだ。

 ふっと目を開く。
 頭がぼーっとしていた。浴室内の壁かけ時計を見る。湯船に浸かってから十五分が経過していた。
 やばい、とガラス張りの外、露天風呂に目を向ける。当然のようにそこに砂日の姿はない。ぐるりと浴室を見渡すが、どこにもいない。
 なぜ、砂日には気安く頼ることができたのか?
 もっとも大きなきっかけは、やはりあのキリだろう。あれを境に砂日への信頼が生まれた。
 そしてもうひとつの理由が、彼の性質だ。
 砂日を「冷たい」「気がきかない」と嫌う人も多いだろう。しかし北野には、砂日ぐらいがちょうどいい。
 砂日は北野の障害を重要視しない。頼めば一応は聞いてくれるが、過剰な気はまったくつかわない。あまり気が乗らないお願い(たとえば、車椅子から湯船に移すために抱き上げてくれだとか)には、嫌そうな態度を隠さない。
 特に最後のものがいい。
 なんでも快くやってもらえると、ありがたい反面、小学三年のあの日からむくむくと育った被害妄想が「本当は嫌なのに、俺が障害者だから気の毒に思って無理に快諾してくれているのではないか」と心中で渦巻き出してしまうのだ。
 嫌なら嫌と、面倒なら面倒と示してくれて構わない。日常生活の中でどうしたってできないことは、特に義足を外した状態ならばままある。嫌と言われても無理に頼まざるを得ないことだってあるかもしれない。そのときは申し訳ない。
 友達に厄介なお願いをされて、「えーっ、だるい、だるい」と言いながら、仕方なく聞いてやるあの感じ。
 そんな気の置けない友達が、北野はきっとずっと欲しかった。
 それにしても、一度は了承したお願いを、完全に忘れてどこかへ行ってしまうのはどうなのか?
 腹は立っていない。砂日はそういうやつだと分かっている。呆れて、少し笑みが浮かぶ。
 浴槽の中をずりずりと移動して、シャワーキャリーのそばに寄る。
 浴槽の段差を上がり、さて、とシャワーキャリーを見る。
 どうしようか。
 一本のステンレスグリップを頼りに、どうにか反動をつけてシャワーキャリーに乗り移る? シャワーキャリーが転倒して大惨事になる予感しかしない。そもそも、乗り移れたところでこのシャワーキャリーは介助式なのだ。一人で脱衣所まで漕いでいけない。
 床を這って脱衣所まで行き、義足を装着してから、歩いてシャワーキャリーを取りに戻る? それも難しい。義足はロッカーの上に置いてある。シャワーキャリーに乗った状態ならば手を伸ばして取れる高さだが、床から手を伸ばしても絶対に届かない。
 はたと、北野のすぐそばの段差から内風呂に入ろうとしている白髪混じりの男性に目が留まった。
 一瞬の躊躇。迷惑ではないかという恐怖。
 いや、いや、初心を思い出せ。
 できることはなるべく自分でやろう。できないことは自分からお願いして、やってもらったらお礼を言おう。
 人間は大なり小なり誰かに世話をかけるものだ。障害者だからやってもらって当たり前、なんて態度はもちろんいけないが、障害者だから萎縮して誰にも世話をかけないように生きなければならない、なんてことはない、はずだ。
「あの」
 北野が声をかけると、男性がこちらを向いた。
「あのですね、僕、両足がなくて、この車椅子はここでレンタルしたものなんですけど、一緒に来てる友達が先に上がっちゃったみたいで。申し訳ないんですけれど、車椅子に乗るのを手伝ってもらえませんか?」
「先に上がっちゃったの?」
 男性が目を丸くした。介助が必要な友達を放って先に上がるとは何事か、と仰天した様子だ。北野は「サウナにいるのかも」と頬を赤らめる。
 どう手伝えばよいのかと聞く男性に、「車椅子が転倒しないよう、押さえていてもらえますか」とお願いした。いくら勇気を出して頼ってみようとはいっても、「抱き上げてくれ」などと愛嬌たっぷりに身を委ねるのは、砂日以外にはさすがに難しい。裸の肌が触れ合うのも少し嫌だ。
 北野はステンレスグリップとシャワーキャリーのアームサポートを支えに、強引にシャワーキャリーに乗り移った。その衝撃でシャワーキャリーの片側がぐわんと浮いて傾くが、男性が押さえてくれていたおかげでひっくり返ることはなかった。
 礼を言う。続いて、このシャワーキャリーが自分で漕げないタイプであることを説明し、脱衣所まで押してもらえないかと頼んだ。親切な彼は、わざわざサウナにも立ち寄って中を覗いてくれた。無論そこに砂日の姿はなかった。脱衣所の北野が使っているロッカーの前まで押してもらい、「もう大丈夫です。ありがとうございました」と頭を下げる。男性は浴室へと戻っていく。
 ロッカーを開け、体を拭く。温泉に来る前にドラッグストアでケア用品を購入しておいた。
 全身化粧水をまず顔に塗り、次いで全身にも塗る。普段なら、体はライナーで蒸れてトラブルが起きやすい足にしか塗らないのだが、今は日焼けで全身が荒れていた。
 ベビーパウダーを足にはたき、ボクサーパンツを穿いてから義足を装着する。Tシャツとハーフパンツを着る。普段、ハーフパンツはあまり購入しないのだが(わざわざ義足が見える服装をすることもないだろう、という考えだ)、二着で千円のセールをしていたため、たまにはいいかと買ってみた。一着は北野、もう一着は砂日にだ。入浴でさっぱりとした体に、新品の服が爽やかで気持ちいい。
 ロッカーを閉め、シャワーキャリーを隅に寄せるとドライヤーのあるスペースに向かった。そこにも砂日の姿はない。北野は髪を乾かして、ロッカーに戻る。
 ボディバッグを装着し、リュックサックにスキンケア用品、レジ袋に入れて口を縛った今日まで着ていた洋服(砂日の分も)、別のレジ袋に入れた濡れた手ぬぐい(キャンプの大学生、梨彩にもらったものではない。タオルより遥かに早く乾いて使い勝手がよかったため、ドラッグストアに併設されていた百円ショップで五枚追加購入した。梨彩からもらったものは、今は砂日が持っているはずだ)を詰めた。そのリュックサックは電動車椅子を入れていた五十リットルのものではなく、ファストファッションの店で購入した手頃なサイズのデイパックだ。片手で持つエコバッグよりも、荷物の重量を体の両側にバランスよく分散できるリュックサックの方が、義足の北野には使い勝手がよいため購入した。
 忘れ物がないか確認してから、シャワーキャリーを押してフロントへ向かう。
「すみません、ありがとうございました。もう少し休ませてもらいます」
 頭を下げてシャワーキャリーを返却した。
 フロントのそばにある、ソファーと自動販売機と大きなゴミ箱が置かれたこじんまりとした休憩所に、砂日の姿はなかった。ゴミ箱に古い服を捨てる。広い畳の休憩所を覗くと、砂日がごろりと横たわっていた。
「砂日」
 近付いて声をかける。彼は眠っていた目を開き、「おー」と北野を見上げる。
「置いていかないでよ。俺、一人で上がれないから先に上がるなら声かけてねって言ったじゃん」
 一応文句を言っておく。「だっけ?」と砂日が首をかしげる。
「まあでも、ここにいるってことは俺いなくても上がれたんだろ?」
 なら別によくない? とでも言わんばかりに、彼には悪びれた様子がない。北野は「まあ、なんとかなったよ。他の人にお願いしてね」とわざとらしく息をついてみせる。
「あ、なぁ、アイス食いたいから金ちょーだい」
 砂日がこちらに右手を出した。
「アイス? あったっけ」
「自販機のとこ」
「目ざといね」
 北野はボディバッグから財布を出す。あと二、三日で旅は終わるし、ユウの財布にはざっと十二万六千円が入っていた。クレジットカードと、ETC車載器の中にはETCカードもある。よほどの無駄遣いをしない限り、金に困ることはない。自動販売機のアイスぐらい、好きなだけ買えばいい。
 二百円を渡しかけ、「あ、ねぇ」と手を引っ込める。
「ん?」
「俺の分も買ってきて」
 砂日の手に四百円を置く。
「どれ?」
「ええっとね」自動販売機のアイスなど、久しく買っていない。ラインナップが全然分からない。「なんでもいい。きみと同じやつでも」
「オッケ」
 砂日が四百円を手に自動販売機のコーナーへと向かう。
 北野はぐるりとあたりを見回す。平日ということもあってか、人はまばらだ。少し迷ってから、ハーフパンツをまくり上げて義足とライナーを外す。風呂上りは特に蒸れやすいため、できることなら外しておきたい。
 外し終えたところで、砂日が戻ってきた。ソーダフロートのアイスと、クッキー&クリームのアイスを持っている。彼はクッキー&クリームをこちらに渡した。違うのにしたんだね、と言いかけたところを、「一口ちょうだい」と前もって要求される。ああ、そういうことねと北野は微笑する。
 砂日はアイスのプラスチックの棒をくわえてパッケージを剥がした。行儀が悪い、と注意しかけて、いや、違うなと考え直す。彼は片手しかないのだから、そうするほかないのだ。
 両手でアイスを持てない彼は、北野が持っているクッキー&クリームに首を伸ばしてかぶりついた。「うまい」と目を細める。その近付いた拍子に、北野は彼の黒髪がびしょびしょに濡れていることに気が付き、「ちょっと、きみ」と顔をしかめた。
「なんで髪乾かしてないの」
「めんどくさいじゃん。今夏だから、外出りゃすぐ乾くって」
「そういう問題じゃなくって。きみ、さっき畳に寝転んでなかった? 公共の場の畳に、そんなびしょびしょの頭で……。マナー違反だよ」
 砂日はうるさそうに無視をした。北野はぱくぱくと手早くアイスを食べ、最後の一口のコーンを砂日の口に放り込む。
 彼の首にかかった梨彩の手ぬぐいを取り、「ちょっとちょっと」と非難した。びしょ濡れだ。
 ろくに絞らず肩にかけたのか、それとも髪の水分を吸ってこうなったのか。よく目をこらせば、彼の黒いTシャツの上半分も、髪のせいか手ぬぐいのせいかしっとりと水気を帯びている。
「もう、髪ぐらいちゃんと乾かしなよね」
 梨彩の手ぬぐいは、あとで脱衣所に持って行ってゆすいで絞ろう。今は、せっかく外した義足を間を置かずに付けるのが面倒くさい。
 リュックサックを引き寄せる。自身の使用した濡れ手ぬぐいが入ったレジ袋を開けて、梨彩の手ぬぐいをしまう。未使用の手ぬぐいを開封する。砂日の頭にふぁさと被せた瞬間、案の定びっしょりと水を含んだ。
 結局、砂日の頭を拭いては水分を濡れ手ぬぐいのレジ袋に絞る、という行為を繰り返すことにした。
 しばらく奮闘して、まあ、まあ、ドライヤーを使っていないにしては上出来だろう、というところまで到達する。
「はい、まぁ、オッケーかな」
「んー……」
 北野は曖昧に唸った砂日の顔を覗き込む。彼の顔は設置されたテレビに向いていたが、平日の昼間、そう魅力的な番組もやっておらず、その眼は今にも閉じそうだ。
 礼の言葉がないのは予想通り。砂日に頼まれてやったわけではなく、北野のお節介でやったわけだから、まあ、こんなものだろう。
 すっかり湯上りの熱も冷めた。義足を装着し、重たいレジ袋の口を閉めてリュックサックに入れる。「ちょっとゆすいでくるね」とリュックサックを背に脱衣所へと向かう。
 洗面台でレジ袋の水を捨て、軽く中をぬぐってから手ぬぐいをすすいでは固く絞る。絞った手ぬぐいをレジ袋に入れ直す。
 ほんの五、六分のことだったが、畳の休憩所に戻ると、想定通り砂日は寝転がっていた。
 風呂に入り、一休みもした。そういつまでものんびりしていたって仕方がない。
「砂日」
 北野は畳には上がらず、休憩所の入り口から少し大きな声で彼を呼んだ。
「んん……」
 砂日が寝返りを打つ。「砂日」と繰り返すと、「何……」とうるさそうに顔を上げる。
「出発しないの?」
「……するけど……」
 むにゃり、と唸って彼はもう一度寝返りを打つ。
「もう十三時半だよ。お昼ごはん食べに行こうよ」
 北野がそう言うと、ようやく彼はのろのろと起き上がった。