おまけの後日談
いちゃいちゃしてるだけの短編です
やっと両思いになって我慢できなくなった二人の話
***
隣でチャイを飲む彼を見下ろしながら、好きだなぁと思う。
ぼくたちは十六歳になった。
電話やチャットはしょっちゅうするが、彼がインド、ぼくがスウェーデンに住んでいるため、直接会えるのは年に一度の一週間だけだ。
例に漏れず、ぼくの父親も一緒にインドに来ている。だが、今この家にいるのはぼくとモーハンの二人ぎりだ。
彼と知り合って、二年。遠く離れて生活していても、彼への恋心が冷めることはない。
とはいえ、この気持ちを伝えるつもりはほとんどなかった。
恋人になれたらもちろん最高だ。だけど、無謀な告白に挑戦して撃沈し、『友人ですらいられなくなる』ぐらいなら、今の関係を保ち続けるほうがずっといい。
マグカップを手に、伏し目がちに黙りこくっていたモーハンがぱっとぼくを見上げる。
彼の長いまつ毛が作る影にこっそり見とれていたぼくは、下心が露見することを恐れてさっと目を逸らす。すぐに静止し、平常心を装ってぎこちなくモーハンに視線を戻す。
モーハンが静かに笑う。きっと、『いつまで経っても慣れないなぁ』とぼくに呆れていることだろう。
その点を深掘りされるかと身構えたが、モーハンはちょっと背筋を伸ばすと、正面を向いてこくんと小さくつばを飲んだ。口を開きかけ、また閉じて、ローテーブルにマグカップを置くと、弧を描くようにゆっくりとぼくに視線を投げる。
「変なこと聞いてもいい?」
「いいよ?」
ぼくも背筋を伸ばし、隣の彼を見下ろす。話し合いをするとなると、なんでもないときに比べ、かなりリラックスして彼と視線を合わせることができる。
しかし、直後にぼくは激しく目を泳がせるはめになった。モーハンがとんでもない質問をぶつけてきたからだ。
「ダグってさ。……同性愛者について、どう思う?」
つい固まりかける。すぐに「いや……」と意識的に首を振り、なんとかフリーズをキャンセルする。
「……個人の、……自由だと思うけど……」
急速に喉が渇いて声がかすれる。
「だよね。ダグはそういうタイプだよね」
モーハンが笑う。
「じゃあさ……」
言いかけたモーハンが、再び正面に視線を逸らす。ぺろ、と唇を湿らせるように舌で舐める。
「……もし、もしさ……、……同性愛者の気持ちが、自分に向けられていたら。……どうする?」
モーハンがこちらを見ていないのをいいことに、動揺のまま食い入るように彼を見つめる。
なんだ?
彼は今、なんの話をしようとしているのだ?
ぼくの恋心に気付いて、牽制しようとしている?
あるいは、同性から告白を受けてどうするべきか悩んでいる?
それともまさか……、いや、そんなわけはない。
ゆっくりと深呼吸をする。バクバクと嫌な跳ね方をしている心臓を無理に宥めながら、極めて模範的な回答をする。
「それは、相手によるね。気持ちを向けられて、それに応えるかどうかは、同性とか異性とか関係なく相手による」
「……だよねぇ」
モーハンが口元に笑みを作りながらも、眉をちょっと八の字にする。
同性から告白をされたの? と質問をすべきだろうか。
元来、ぼくは人から受けた相談を途中で投げ出すようなタイプではない。だけど今、ものすごく逃げ出したくてたまらない。だって、この話の着地点はどこなのだ? もしモーハンが誰かから告白をされていたとして、応じる気持ちはあるけれど相手が同性だからという理由で決断を迷っていたとして、ぼくとの対話によって彼らの交際が決まってしまったとしたら、ぼくは。
とん、とモーハンの手の甲がぼくの手の甲に触れた。
そのままきゅっと指先で袖口をつままれ、えっと戸惑う。
インドでは、同性の友人同士で手を繋ぐことはごくポピュラーだ。初めて会ったときから今日こんにちに至るまで、何度無邪気に彼から手を繋がれたか分からない。
モーハンがぱっとぼくを見上げる。その目色にぼくはうろたえる。
緊張に揺れる、熱をはらんだ、泣き出しそうな瞳。
「……あのさ」
うん、という短い返事すら声にすることができずに、ぼくはこくりと喉を鳴らす。
「……あのさ……」
こくり。頭の中をびゅんびゅんと思考が飛び交う。
もしかして。まさか。いや、そんなバカな。いや。でも。だって。
もし彼がぼくを牽制するつもりなら、「だよねー。性別とか関係なく、無理なもんは無理だよねー」と軽い口調で流して、この会話は終わっていたはずだ。
もし彼が同性との恋愛をぼくに相談するつもりなら、「……だよね」と照れくさそうな、少しほっとしたような表情を浮かべていたはずだ。
なぜ彼は、これほどこわばった表情でぼくと相対し続けているのだ? これ以上、何をぼくに切り出すつもりでいるのだ?
導き出せる答えは、ひとつでは?
「……なんでもない」
モーハンが唇を歪めて、ぼくの袖口から指先を離す。逃げかけたその手をぼくはつかむ。モーハンが弾かれたようにぼくを見上げる。言うか? 言ってしまうのか? どうしよう、ただのぼくの勘違いだったら。そうしたら取り返しのつかないことになる。だけど彼の瞳は、熱を持ってうるんだ彼の瞳は。
「好きです」
ぼくの一言にモーハンが目を見開いた。ぼくは半ばやけくそで、より大きな声で繰り返す。
「好きです」
「うそ……」
「嘘で言わない。こんなこと」
熱くなる顔を自覚しながら言い切った。
「わ、」
ドンッと胸の中にモーハンが飛び込んできた。甘くてスパイシーな彼の香りが一気に濃さを増し、知らず深く息を吸い込む。ぎゅう、とモーハンに目いっぱい抱きしめられる。明確にぼくより筋肉量の少ない彼の『目いっぱい』の加減が愛おしくて、華奢なその体を気遣いながらぼくも彼の背に手を回す。
モーハンがぼくの肩口にうずめていた顔を突然上げる。
きらきら光るグリーンの瞳に至近距離で射られ、どきりと心臓が跳ねる。ひょいとモーハンが背伸びをする。
ちゅ。
頭が真っ白になる。モーハンの唇がぼくの唇に、ぼくの唇にモーハンの唇が、ぼくたちの唇が重なって、
ぼくたちは今、キスをしている?
モーハンが薄く目を開けて、真っ赤になったぼくを見ると、にまりと嬉しそうに目を細める。
ちゅ、ちゅ。
軽く触れるだけのキスを繰り返しながら、モーハンがずりずりとぼくの膝の上に乗る。これでぼくたちの顔の高さはほとんど同じになる。
ぬる、とぼくの口内に熱い塊が侵入した。
「ん……」
くちゅっ、ちゅぱ、と映画のラブシーンでしか知らない水音が、彼とぼくの接触面から出ていることがにわかには信じられない。
あまりの展開の速さにどうすればよいのか全然分からない。ただただ昼行燈のように彼の舌を受け入れる。
砂糖をたっぷり入れた甘ったるいチャイの味。むせ返りそうなほどに甘美な彼の香り。ちゅぱ、ぬちゅ、とぼくの舌を吸っては舐める熱い舌。ぼくの背中に回された細っこい腕と、寄りかかる痩せた体。
ふいに自身の状態を自覚し、急いで彼の腰を両手でつかんで遠ざける。その腰の薄さにもまた熱が高まる。
え、とモーハンがぼくの目を覗き込む。気まずそうに目を逸らすぼくをきょとんと眺め、はたと思い至ったように視線を下にずらす。ふは、と楽しそうに笑った。
「分かる分かる。たっちゃうよね」く、とモーハンが腰をこちらに近づけようとする。ぼくは両手に力を込めて必死にそれを阻む。彼が続ける。「ぼくもたってるし」
思わず彼の股間に視線を走らせた。その言葉が真実であることを知ると同時に、彼の手がズボン越しのぼくの股間にふわりと被せられる。反射的にその手をつかんで引き剥がした。強い拒絶に、モーハンが「あ、っと……」と顔をくもらせる。
「……ごめん。ぼく……、きみと両思いだったのが、嬉しくて。ごめん。ちょっとはしゃぎすぎたかも」不安そうにぼくを見上げる。「まだ……こういうことするのは、嫌?」
「嫌なわけがない」固い表情で即答した。彼を安心させるための柔和な顔つきを作る気持ちの余裕など、一切ない。「嫌じゃない。全然嫌じゃないよ。ただ、……心の準備が」
はぁっと勢いよく息を吐き出す。モーハンはまだ真意を測るような瞳をぼくに向けている。ぼくはつかんだままだった彼の手をそろりと引き寄せ、勇気を出して自身の心臓に当ててみる。どごんどごんどごん、と爆発しそうな振動に触れて、モーハンがぱちぱちと瞬いてから破顔する。
モーハンが背筋を伸ばし、ちゅっと軽いキスをする。
「ハグは?」甘えた顔でこてんと首をかしげる。「してもいい?」
「……うん」
「腰」とんとん、とまだ彼の腰をつかんだままのぼくの片手を指先でつつく。「ぎゅーってくっつきたいから、離して」
「……でも」
「気にしない気にしない。ぼくも一緒だから」
おそるおそる彼の腰を離す。直後に胸の内に彼が潜り込む。気にしないようにしようと努めても、意識は勝手に互いの一番熱い部分へと向かってしまう。すり、すり、とどちらからともなく熱をこすりつけ合う。とくとくと小さく脈打つ、湿り気を帯びた熱の塊。
「あーやばい」モーハンが笑顔で体を離す。「これ、ごめん。やっぱやめよっか。続きしたくなっちゃうもん」
「……ぼくも」
かすれた小声で同意した。
沈黙。目を伏せてしばらく待ったのち、そっと彼をうかがう。動物的な衝動をたたえた熱い瞳に射られ、ドクンとそのままフリーズする。
時刻は十五時過ぎ。そろそろメイドがやってくる。
ぼくたちは無言で手を取り合い、立ち上がる。今からどこで何をしようなど、論ずるまでもない。
(了) 2025.12.20